配信ライブ、そして先日の音楽の日で披露された「誰がその鐘を鳴らすのか?」。結構解釈が難しいというか、人によって色んな解釈があると思います。
今回は誰鐘を私なりに解釈してみます。
鐘とは何か?
この曲のメインはやはり「鐘」ですが、この「鐘」とは何でしょうか?
「世界中どこでも聞こえる」
「争いごとが起きそうになったときに心に響かせる」
「悲しみにうつむいても語りかける」
「愛の救世主」
などなどのワードから考えるに、私の感覚では「救いの象徴」なのではないかと思いました。
鐘が鳴ると色々なものが救われていく。ただし、それは裏を返せばあらゆるものをコントロールできる強い権力でもあります。
この鐘をめぐって、人が右往左往しているのがこの歌の世界観なのかなと思います。
イントロ
イントロはゆいぽんのポエトリーリーディングです。
「私たちは本当に大事なものを聞き逃している」
というのが核心かなと思います。
私たちは物事を言語化しますが、それは自分の心の内をすべてさらけ出しているわけではありません。そもそも絶対無理です。
だから、「こうしてほしい」「こうするべきだ」と言っていても、実はそれは一部でしかない。その人の本当の想いは発された言葉にはないことが多いわけです。
でも、普段私たちはコミュニケーションをするにあたり、言葉を投げあっています。そうすることで、本当の想いが届くことはなく、人間は争いや悲しみに巻き込まれています。
そういう世界に私たちは生きているのです。
1番:争い
1番では争いを抑えるものとして、鐘が登場します。
でもその鐘を鳴らすのは誰なのかは明かされません。「誰が鳴らすのか?」と人にゆだねています。
同時に神様なんていないじゃないかと言い、暗に「誰かが鐘を鳴らすなんて思ってちゃだめなんだよ」と示唆しているように聞こえます。
サビの後半では「誰でも鳴らせばいいんだ」というのが出てきますが、鐘を鳴らすのは誰かにゆだねちゃだめだし、でも、誰かじゃなきゃいけないわけじゃないんだという感じでしょうか。
総じて、「鐘を鳴らすこと(救い)を誰かに頼るな」、「君が鳴らしていいんだ(救われていいんだ)」ということを言っているのかなと思います。
2番:愛の救世主
2番では、悲しみを癒す救いの手、愛の救世主として鐘が登場します。
でも、サビでは「愛の救世主になるのは怖いだろう、逃げたいだろう?」と挑発的な歌詞になっています。
同時に、その権力につられて、得体のしれない誰かが鐘を鳴らそうと、愛の救世主を名乗ろうとするかもしれない。でも、権力につられてくるやつは支配者になる。支配しても、されても、幸せになんかなれないぞと言います。
逃げていたら、誰かに支配されてしまうぞというようなことを言いたいのかなと思います。
Cメロ
ここはイントロとほぼ同じことを言っていますが、イントロでは「他人の話を聞いてみようよ」と言っていたのが、「みんな一斉に黙ろう」と変わっています。
自分が自分がではダメ、でも、他人の言うことに従っていてもダメなんだ。
言葉という不完全なメディアを断ち切って、自分で自分と向き合え。
そういう意味かなと私は思いました。
そして、「僕たちの鐘はいつ鳴るんだろう?」とゆいぽんが言います。
欅坂の表題曲で「僕たち」と言えばサイレントマジョリティー。
「何のために僕たちは生まれたのか?」と歌い、「自分らしく生きろ!生きよう!」と訴えていた「僕たち」は、いろいろなことを経験して、ぶつかって、時に挫折して、諦めて、「救い」を求めている……のかもしれません。
大サビ
ここは1番のサビの繰り返しですが、もっと結論めいたものを感じます。
神様なんていない。
鐘を鳴らすのは君たちだ。
自分たちで自分たちを救うしかないんだよ。
素直に鳴らしてみたらいいじゃないか。
というメッセージがあるのかな、なんて思います。
欅坂目線
欅坂のグループの目線から言えば、鐘はてちのことかもしれません。
その強大な力は時に自分たちを苦しめることもあったけれど、いつだってグループの前に立ち、そのパフォーマンスで人を黙らせてきました。
でも、その鐘を鳴らしていた人はもういません。
じゃあ、その鐘を次は誰が鳴らすの?
本当は誰かにやってほしい。神様がいれば神様にやってほしい。怖い。逃げたい。
でも、逃げていたら「得体のしれないもの」に支配されてしまう。
かといって、誰が鳴らすべきかなんて議論は無駄だ。
鳴らすのは「自分」であり、そばにいる「仲間」だ。
その鐘は「平等」に開かれている……。
こう考えると、「僕たちの鐘は…」の部分は「何度も何度も誰かを救ってきた当の私たちは、いつ救われるのだろうか?」という吐露にも聞こえます。
そして、秋元氏の答えは「それは君たちが自分でやることなんだ」というものなのかもしれません。また、センターなしなのもそういう意味合いかもしれません。
ファン目線
ファン目線から言えば、鐘は「欅坂の存在」かもしれません。
欅坂に救われてきたという人はたくさんいます。
助けてほしいという声にならない声を欅坂は拾い上げてくれて、寄り添い続けてきてくれました。
でも、今度は欅坂の声を聞いてやってくれよということかもしれません。
いつまでも救いを誰かに頼るな。
救いの象徴である「鐘」は、誰だって鳴らせるんだ。
欅坂は神様じゃない。
自分で自分は救ってあげられるんだ。
「さあ、今度はあなたが鐘を鳴らすんだ」
ということ……かも?
人に救いを求めるな
総じて言えば、「人に安易に救いを求めることを戒めている」のかなという感じがしました。
自分の本当の気持ちをきちんと理解してあげれば自分で鐘は鳴らせると。
ゆうパラでしーちゃんがTAKAHIRO先生からは「自分に正直になって、心を開けば鐘はすぐそこにある」と言われた、と話していましたがそういう意味なのかな~?と。
救いを誰かに求めたとき、その誰かとの間に上下関係が生まれてしまうというのはよくある話です。上下関係にならなくても、依存してしまうこともあります。
あるいは誰かを救うことで、その誰かを無意識に支配してしまうということもあります。
そういう危険性があるので、救いは自分でやらなきゃダメなんだということかもしれません。
「誰がその鐘を鳴らすのか?」という問いの答えは「それは自分だ」ということなんじゃないでしょうか。
おわりに
まあね、全然違う可能性ありますよね(笑)
もしMVとかがあれば、「あ、これ全然違うわ」となる可能性大アリ。
今後、色々情報も出てくるでしょうから、この妄想にも修正が加えられていくことでしょう。
あなたは「鐘」、何だと思いますか?
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