UDAGAWA GENERATION、曲も歌詞もMVも傑作級だと私は思っていますが、グループの流れから言うと櫻坂とはどんなグループかを再定義したものだと考えています。
まずは過去の楽曲からグループの歴史を簡単におさらいしましょう。
今までの楽曲群
振り返ってみると今までの表題では、いくつかターニングポイントにしている曲があると思っています。
1.Nobody’s fault「はじまり」
2.Start Over!「反転攻勢」
3.何歳の頃に戻りたいのか?「1・2期体制の集大成」
ノバフォはやはり一曲目でしたから、グループの初代アンセムだと思います。「他人を蹴落としていくようなことはしない。自分も大切にしながら、信念を持って、この世界で生きていく。そういうことを歌う」という感じでしょうか。
自分の信念を持つというのが、欅から引き継いだテーマでありつつ、欅と違うのは自分も他人も大切にするという方向性です。
とはいえ、以降グループとしては勢いが下り坂になっていきます。一期生の卒業もすすみ、進路への迷いのようなものを運営も含め感じていたように思います。私もこの末期に距離を置くことになりました。楽曲が悪いとかの理由ではないんですけどね、私は。
3期生が入って、れなぁとゾノの新2期生コンビを表題、カップリングセンターに据えた5thシングル「桜月」は新しいチャレンジに挑んだシングルで、特にラヴィットで非アイドルファンへの認知度が比較的高いれなぁをセンターに据えたことで、風向きを少し変えることに成功したシングルだったと思います。(私はこの時期、最も距離を置いてしまっていたわけですが……)
その流れを決定づけたのは、ジョーカー的存在である夏鈴ちゃんをセンターに起用した「Start over!」です。1・2期生全員選抜で、「ここからもう一度やり直せ!」という強いメッセージ性と夏鈴ちゃんにしか出せない強烈な存在感を存分に活かしたMVは櫻坂の反転攻勢の狼煙(のろし)になりました。
「承認欲求」からは他グループより早いタイミング(加入後3作目)で3期生を表題起用して、勢いを維持しました。
そして、「何歳の頃に戻りたいのか?」では、櫻坂において「未来的、希望的価値観」を体現してきた天ちゃんをセンターに、フロントにるんちゃんと夏鈴ちゃんという初期3センターを配置して、これまでの1・2期生体制の集大成と新しい体制へのつなぎとしての役割を任せたんだと考えています。「夢を見るなら先の未来が良い」という歌詞は、これからは新しい体制でやっていくぞ、ついてこいという宣言に聞こえました。こういうのは天ちゃんに任せますよね。
で、「自業自得」「I want tomorrow to come」では3期生の山下ちゃんをセンターに据えて、新体制を築いてきたわけです。
このタイミングで、「UDAGAWA GENERATION」では再び初期3センターをセンターとフロントに配置したことに、意味がないわけが無いと思います。しかもセンターは1stセンターのるんちゃんです。
これは明らかに4期生加入を見据えていて、1〜3期生でやってきた体制を総括し、これからのnewテーマを宣言するという役割を担っていると考えるべきでしょう。つまり、UDAGAWAはノバフォに変わる、2代目アンセムテーマなのではないか。
と、私は考えるわけです。
歌詞の世界観
ここからは、UDAGAWAの歌詞を中心に見てみましょう。
UDAGAWAというのが、渋谷センター街のある宇田川町を指していることは、ほぼ間違いありません。
渋谷といえば、欅の頃から何度も楽曲の舞台になってきた場所で、ある種のホームグラウンドであり、グループの象徴でもあります。
同時に現実の渋谷という街は若い人が多く、先進的価値観と大人的価値観がぶつかる場所です。加えて再開発が進み、どんどん様子が変化していく街でもあります。
櫻坂はそういう街を目指してやってきたんだということが歌われています。どうなるかなんて分からないけど、好きに生きさせてくれ!この街はそれを許してくれるところなんだ!と。
1サビで「誰かのマイルストーン 変わらないって最高じゃない?」とありますが、これは1期生の目標のことではないかと思いました。ミソはうちらのマイルストーンではなく、誰かのマイルストーンであること。
「いついつまでも遊んでいたいよ
だって……ずっと……他に何があるのか?」
2期生にとってはずっと1期生は目標であり、憧れでした。同時に1期生のやってきたことを引き継いでいけば良いというポジションでもあったわけです。これは3期生にとっても同じで、3期生の場合は2期生のマイルストーンのほうが大きいかなと思います。
2番では、「私は私だ!Z世代なんて勝手にくくってくんじゃねえ!」というグループに通底するロック精神を打ち出します。(私は「Z世代なんて言葉は誰かが作ったマーケティング」という歌詞が大好きです笑)
一方で「ここで騒ぐことすら今じゃできなくなりました」とあります。これは時事的な話でハロウィン来ないで的なものを引っ張ってきてますが、要は街に来たら何でも自由なんて時代は終わったということかなと思います。改名したことや改名後に色々苦戦してきたことなどのメタファーかなと。遊んでいられなくなってしまったわけです。
それに対して一度は絶望します。
「ずっとここにしゃがんでいたいよ だから……全然……夢なんか見たくない……何も」
他のところになんか行きたくない。拒否されたって、排除されたって、ここにいたいんだということですね。同時に「夢なんか見たくない」というのも面白いところです。
夢を見ろ、目標を持てと言われることが多い世の中ですが、本当にそうなのかと。行き当たりばったりでもいいじゃないか。「流されて行けばどこかに着く」んじゃないか。
るんちゃんがよくインタビューで「目標は持たないようにしている」と話しますが、それとリンクしているような部分もあります。
遊んでいられなくなってしまったけど、だからといって大人たちの言う通りになんかしたくない。
そして、色々な価値観があることを目の当たりしにします。
だからこそ、「What are we to do?」「what do you wanna be?」と問いかけるのです。
「私たちは何をすべき?君はどうありたいの?」
答えなんてないのです。
そこで再び思い出します。
「うちらのランドマーク 離れた街で憧れてきた」
「いつか……きっと何か見つかると思う」
ランドマークというのは、やはり1期生のことでしょう。MVだとここで、るんちゃんが欅ポーズをしているように見えるので。ずっと憧れてきたんです。そして、彼女たちがそうだったように、私たちだってどうなるかなんて分からないけど、きっと何か見つかるはずだという希望を見いだします。このシングルでみいちゃんが卒業して、1期生がいなくなることも織り込んだ歌詞であるように思います。
I wanna goをサビで連呼しますが、どこに行きたいのかは書かれていません。要はどこに行きたいのかすら分からないのです。それを呪文のように独り言でつぶやく。
目的地は分からない。でも、どこかにはいけるはずだという漠然とした希望をもって、世界で唯一退屈しない街(=渋谷=欅坂/櫻坂)で疲れた朝陽を何度も見ながら、大人たちから「バカなんじゃないの?」という目線を浴びつつ、誰かからの承認みたいな見返りは期待せず「私たちは、これからも永遠にUDAGAWA GENERATIONだ」と宣言することしたわけです。
今までの積み重ねを全部ひっくるめて彼女たちを「UDAGAWA GENERATION」と名付けたところは秀逸です。(いや最初は「どうした康!」と思いましたけどねw)
「過去を誇りに思いつつ、なぞるんじゃなくて、私たちだけの何かが見つかるはずだと信じて、退屈しないように自由に好きなことをやってやる。それがUDAGAWA GENERATIONである私たちなのだ」
これが櫻坂の新しいテーマなんじゃないでしょうか。
ポイントは「退屈しない・自由・好きに・やりたいことをやる」。
今までより、明るく、外に開けたテーマになったのではないかという気がします。
楽曲もポップで明るい、聴いていて楽しくなる、退屈しない曲ですしね。
【櫻坂らしさ】と呼ばれるものになんて縛られないぞ!という、ファンに向けてのメッセージ(一種の挑戦状)じゃないかとも思いました。
このブログで何度も書いてきたことですが、私はアーティスト側がファンを引っ張らないとだめだと思っています。今の櫻坂はそれを見事にやってのけていると思います。
MVも歌詞の世界観をうまく昇華して、「(傍目から観たときの)愚かな自由」を描いていると思います。自由だからこそ、やり過ぎちゃったり、失敗しちゃうこと(アバンギャルド衣装シーン)もあるけど、それも人生のスパイスさ。これからも私たちはこうやって歩いていくーー。
見ていて楽しいし、スタオバと双璧を成す、素晴らしいMVでした。
より広く、強く、楽しく
アルバムは4期生が入る前におそらく出すでしょうから、アルバムが1〜3期体制の集大成的な役割を担うのかなと思います。
そして、その後。
櫻坂が描く世界は、より広く、強く、楽しいものになるんじゃないかと私はワクワクしています。
まだまだこのグループは進化するはずです。
楽しく、どんどん前へ行って欲しい!
そんな思いを抱いた11thシングルでした!