今日は3月11日で、東日本大震災から9年になります。
私は神奈川の人間で、大きな被害をこうむった方々の味わったような恐怖、困難、辛さは分かろうとしたって分かりようがありませんが、あの揺れは今までの人生で一番大きかったし、テレビで見る津波の映像はショッキングで、こんなことが現実に起きうるのかと思いました。
今までそこに映っていた命が消えていく瞬間をテレビ画面を通じて見るなんてことは、予想だにしていなかったです。
あの日、冬休みに入っていた私は、翌月に控えた大学の入学式のためのスーツを紳士服店に取りに行き、帰ってきて、前日の残りものであるシチューを食べていました。
そのときに地震が来て、「これはちょっと経験したことがないぞ」と思い、地震で初めて生命の危機を感じました。
揺れが収まった後には、津波の映像や被害状況をテレビを通じて見ることになり、原発事故も発生、連絡手段の制限などもあり不安が高まったのを覚えています。
しばらくしてからは、計画停電が始まって、電気がないとこんなに生活が不便になるのかとつくづく感じました。また、大学の入学式も節電などを理由になくなり、非常にイレギュラーな大学生活の始まりとなりました。
あの年の冬から春は、きっと一生忘れることはないでしょう。
実際の被害がほとんどなかった私でさえそうなのだから、現地で被害にあった方たちにとって、あの出来事がどれだけすさまじいことだったのかは、想像に難くありません。いや、きっと想像を絶するものなんだろうと思います。
欅坂46には、宮城県出身者が2人います。石森虹花・守屋茜の2人です。虹ちゃんも、あかねんも、毎年欠かさず震災に絡んだブログをあげています。
特に虹ちゃんは、毎年あの日何があったのか、どういう状況だったのかを繰り返し、繰り返し、毎年書いています。忘れさせてなるものかという執念すら感じます。
2017年
石森:虹花からメールです\ ♪♪ /6年。これからも
守屋:未来へ
2018年
石森:7年という月日が経ち。
守屋:3.11突然の雪。
2020年
石森:9年目の今日、想うこと。
守屋:自分の出来ること
二人からは、伝えなければいけない、という強いメッセージを感じます。
私も含め、震災で大きな被害をこうむった方たちのことを考える機会はどうしても少なくなってきています。
でも、震災はまだ終わっていません。復興とは言いますが、建物が建ったりすれば復興なのかと言えばそれも少し違う気もしますし、県外に避難している方々への支援などは十分ではありません。
そういう意味で、震災は現在もまだ続いていると言えます。
この状況の中で、実際にあったことをベースに震災のことを語れる人というのは貴重です。私たちが日常の中にどうしても埋没させてしまうものを、掘り起こしてくれる存在なので。
だから、2人が私が好きな欅坂46にいてくれていることは、とてもありがたいことだなと思います。
欅坂46と震災と言えば、てちが福島に行ってTAKAHIRO先生と授業をしたこともありました。
芸能には、人にエネルギーを与える潜在力があるんだなと思います。
同時に、私たちに何ができるのかを問われている気もします。
こういう日に震災のことを思い出すというのも1つですし、募金などをするというのも素晴らしいことでしょう。それ以外にも、大きな被害にあった地域はどうなっているのか、住んでいる方は少しでも幸せを感じられているのか。政治的な部分で不足していたり、不要なことをやっていないかをチェックしてみる。東北に行ってみる、ものを買う……などなど。
私自身は、なかなかできていないことが多くて、申し訳ないなと思うことが多いです。新聞などを通じて、政治的なことをチェックしたりはしますが、それが行動につながっているかは怪しいです。
今日を機に、また色々考えてみたいなと思います。
こういう風に思わせてもらったのも、欅坂46と東日本大震災に密接な関係があるからです。
震災に絡んで起こってしまったことを「いい話」や「泣ける話」のように消費したり、矮小化しないで、今苦しんでいる人の苦しみや、これから起こるであろう天災時の被害をできるだけ小さくするにはどうしたらいいのかを考え続けたいと思います。
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