アイドルとハラスメント

アイドルとハラスメント コラム

最近気になっているというか、前から思っていたことなんですが、アイドルってハラスメントを受けやすいんじゃないかと思うんですよね。

特にファン(と名乗る人たち)から。

というわけで、今回はアイドルとハラスメントのお話。

ハラスメントとは何か?

ハラスメントは「嫌がらせ」と訳されていて、一般的にもこれに近いニュアンスで使われています。

ただ、それが結果的にハラスメントを軽いものにしてしまっていると思います。

なんか不条理なこととか、理不尽なことを言われたり、やられることに意味が限定されている感じがするのです。

でも、私はハラスメントはもっと広いものだと思っています。

ではどういうものがハラスメントなのか。

ハラスメントの中身は「命令」と「正当化」です。「命令」というのはそのまま「これをしろ、するべきだ」というメッセージです。「正当化」は「これはあなたのためだ」「されるほうが悪い」という命令の正当化です。

例えば、会社で女性のお尻を触るのは「セクハラ」かといえば、これはセクハラではなく、「わいせつ行為」という性的な暴力行為です。暴言を吐くのは「パワハラ」ではなく、「言葉の暴力」です。これらはハラスメントなんていう言葉で言っていい行為ではありません。

本当のハラスメントは、「お尻を触られても、大したことないじゃん。ここで笑ってやり過ごすのが大人の知恵だよ」とか「怒られるのはお前が悪いからだ」と言ったりすることです。

ポイントは暴力をごまかし、暴力行為を行う人ではなく、された人が悪いかのようにすりかえてしまうことです。

ある人が感じる感情を否定し、その感情を引き起こした行為を正当化することがハラスメントの内実です。

「なぜこんなことが起こるのか?」といえば、相手を1人の人間として尊重せず、肩書きや属性として付き合っているからです。

肩書きや属性には社会的に期待される振る舞いというのがあります。

しかし、生きていれば表現された感情とその人の「肩書」に付随する理想的な振る舞いがズレることがあります。この際、その感情を否定して、理想的な振る舞いを強要するとハラスメントになるわけです。

※なので、私は「社会人なんだから」みたいな言い草が非常に嫌いです。ザ・肩書き。

アイドルとハラスメントとコミュニケーション

こういう意味で考えると、アイドルという肩書に対しての言動は非常にハラスメントになりやすいです。

アイドルらしい振る舞いというのはもちろん、「未熟な女性」という属性に期待される振る舞いというのもあります。

アイドルらしい振る舞いならば、「かわいさ」だったり、いつも笑顔でいることやバラエティで盛り上げることなどがあるでしょう。

「未熟な女性」ならば、大人たちが何かを指導して、成長していくという部分。特に女性にはいろいろと言いやすい風潮が日本にはあります。

これがハラスメントとして出てくると「私たちを満足させろ」、「私たちを楽しませろ」、「私たちが教えてやらなければ」という感じになるんだと思います。

ハラスメントと仕事

そういう要求にこたえるのが仕事じゃないかという人がいるかもしれませんが、仕事の契約上のやり取りは「成果物」と「対価」の2要素しかありません。

「成果物」と「対価」が釣り合わないとなれば、その契約をしなければいい話であり、「成果物」以外のものを「同じ対価」で要求することはできません。成果物は音楽やライブ、握手会、テレビ・ラジオ・雑誌出演などでしょう。実際に私たちが対価を出して買うのは「CD」や「ライブ観覧チケット(ライブを見る権利)」、「雑誌」ぐらいです。

それ以外のものになると、基本的に無料でそれを見たりしています。お金を出している側が事前に約束された成果物に至っていない場合に、その是正を求めることはあり得ますが、無料で見ている側が文句を言う権利はそもそもありません。(意見募集などをしているなら別ですが)

何が言いたいかというと、「仕事」としてみた場合に文句を言ったりする権利というのは実はかなり限定的だということです。「成果物」と「対価」の調整程度です。

となると、大部分のことについては仕事から離れたやり取りをするしかありません。これは純粋なコミュニケーションになります。

※日本社会はこの辺があいまいで、成果物以外のものも対価の中に含めようとするんですが、私から言わせるとそれがハラスメントや暴力の根本的な原因の1つだと思っています。この構造だと「従う側」があまりにも不利です。

コミュニケーションするしかない

コミュニケーションは相手を対等な存在だと考え、相手のことを理解していく過程です。

「私はこう思っているけれど、あなたはどう思っているのか」「なぜそういうことをするのか、したいのか、したくないのか」ということをお互いにやり取りしあうことで、二人で価値観を作り上げていくのがコミュニケーションです。

どちらかの一方的な価値観を押し付けるのは暴力であり、コミュニケーションではありません。さらにその暴力を「これはあなたのためなんだ」とか、ごまかすとハラスメントが起こります。

ただ、アイドルとコミュニケーションはふつうとれませんね。となると、相手というかそのアイドルの子をリスペクトしながら、理解しようとするしかありません。

だから、私は欅坂のメンバーのことをリスペクトしながら、その人間性や生き方を応援しているつもりです。

アイドルはおもちゃじゃない

アイドルは反論をしたりしてこないので(人によってはしてますが笑)、言う側はとても楽です。言いっぱなしにできますからね。人間、粗なんて探せばいっぱいあるわけで、それを言っておけばいい。サンドバッグみたいな感じですよ。自分のうっ憤や問題をこっちで晴らせるのだから。

でも、それじゃあ、彼女たちがまるでおもちゃではないですか。

それがファン活動と言えるんでしょうか。

聞かれてもいないのにファンが偉そうにアドバイスをしたり、「こういう風にしたらいい」とか言うのは何か勘違いしていると個人的には思います。リスペクトしていて、応援したいと思っているからファンなのであって、あたかも上下関係があるかのように振る舞うのはおかしいと思うのです。

どんな状況であろうと、人同士が対等であって、お互いにリスペクトしている状態で関係を築いていかなければ、どこかで歪みが出て、その関係は破たんします。いろいろな考えがあるかもしれませんが、将来破たんするであろうやり方が正しいとは私には思えません。

ファンや客が上で、発信者側が下とみるようなものに代表される、上下関係の構図はハラスメントや暴力を生み出しやすくなります。

私たちは対等です。相手が友達だろうが、家族だろうが、恋人だろうが、アイドルだろうが同じです。

相手はあなたの感情をぶつけ、ひたすら快楽を提供してくれるおもちゃではなく、同じ人間なのです。

この考えはきっとアイドル以外のものごとでも役立つはずです。

というのは、「男なんだから」「女なんだから」のように、「○○だから」と肩書や属性で語る言説は世の中にたくさんあり、それで苦しい思いをしている人もいるはずだからです。

私も失敗したことがあるし、これからも失敗するかもしれないけれど、偉ぶらず、相手をリスペクトして関係をつくっていきたいと思っているし、そういう心づもりで欅坂を応援したいと思っています。

【参考文献】
安冨歩著「生きるための経済学 〈選択の自由〉からの脱却 (NHKブックス)」(NHK出版・2008)


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