10月のプールはファンへの挑戦状?【歌詞解釈】

10月のプールはファンへの挑戦状?【歌詞解釈】 欅坂46楽曲紹介

先日、レコメン!で「10月のプールに飛び込んだ」が解禁されました!

私はCMで聞いてるときから好きで、フルを聞かせろ~と念じてきたので、念願叶ってとても嬉しかったです。

曲調は明るめで、クセになる感じで、やっぱり好きでした。

ただ、ファンの反応を見てると諸手を上げて称賛という感じではありません。

しかし、それも含めてのこの曲なのではないかと私は思っています。

というのも、これは欅坂が叩きつけてきた、ファンへの挑戦状だと思ったからです。

今回は歌詞の解釈も考えながら、秋元氏が欅坂に送った「手紙」は何だったのかを考察してみたいと思います。

歌の流れ

この曲は欅坂の曲では珍しく、ストーリー主体の歌詞です。

1番は主人公が学校の非常階段で授業をサボってるシーンからスタート。よく晴れているのに何もしなくていいのかと思っていると、妙案を思いつきます。

その妙案とは10月なのにプールに飛び込むこと。制服のまま飛び込んで、バシャバシャとしぶきもあげちゃって、自由を謳歌します。

2番は主人公のモノローグから。何もしないなんてもったいない、もっとジタバタしたらいいじゃないかという彼の思いが歌われます。

そして、プールの中で息を止めます。水の中なら、誰でも同じことをする。性格も、能力も関係ない。水の中でなら、人間はみな対等だ。そんな不平等な世界への彼のささやかな抵抗。しかし、それもつかの間。限界が来た彼はゆっくり立ち上がります。

バシャバシャしてたぐらいなので、プールに人がいることは教室からバレており、クラスメイトがさわいでいます。それに対して、彼は中指を立て、挑発しながら「できるもんなら、やってみろ!」と大声で叫びます。

その後、校舎に戻りますが、廊下が濡れていて、自分もびしょ濡れなのに、教師は何も言いません。自分に興味がないんだと彼はさとります(あるいは再確認します)。

そして、何度だってプールに飛び込んでやる。季節なんか関係ない。これが僕の生き方だと決意して、大サビ(1番のサビと同じ)になり、終わります。

まあ、歌詞を素直に受け取ると結構な問題児ですが、歌詞である以上、比喩やメタファーとして考えるべきだと思います。また、情景は確かに思い浮かぶものの、実際にはほぼ起こらない非日常であることからも、比喩で解釈すべきだと考えます。

ではどんな比喩が考えられるのか。

プールに飛び込むのは愚かで笑われること

彼は10月にプールに飛び込んで泳ぐなんて、笑われることだし、愚かなことだと自覚しています

欅坂に置き換えれば、それは「新しいアプローチをとる」ということなんじゃないでしょうか。

今まで作り上げてきて、成功を収めてきたものをぶち壊す。一見すれば愚かなことですが、やらねばならない。

何故か。

「本当の自由を確かめるため」です。

欅坂についたイメージや今まで作り上げてきた世界観は素晴らしかったけども、それにとらわれ過ぎじゃないか。もっと自由でいい。「苦悩しながら自由を歌え」という「不自由」に抗っていいという、秋元氏からの欅坂へのメッセージかもしれません。

この曲は少なくとも昨年の夏に作られており、改名はまだ考えていなかったはずですが、それでも「黒い羊」という欅坂の世界観の到達点とも言えるところに行き着いたこと、メンバーが疲弊していること、2期生が入って選抜も行ったということで、違うアプローチを取るぞという決意をしていたのではないでしょうか。

この曲はそれを宣言し、ファンにこれでも付いてくるかと挑戦状を叩きつけるものだったように思えます。

他者の視線を気にする

今までの欅坂の曲では、他者の視線なんて気にするな、孤独になれ!というのが基本的な価値観でした。

しかし、この曲では他者の目を気にしています。わざわざ「やってみろよ!」と大声で叫んでみたり、中指を立てて挑発してみたり。黙してやりたいことを貫いてきた今までの主人公とは異なり、未熟さも感じさせます。

そうやって、人を近寄らせないような行動をしている割に「教師は何も言わなかった」「僕に興味がないんだろう」と歌詞にあり、何処かで「こんな自分をちゃんと見てほしい、認めてほしい」という欲求も感じます。ちなみに、濡れてるのに無視する先生は、何となく欅坂にとってのファンなのかな?という気もします。苦しみを無視して、価値観を押し付けてくるという意味では。

これらは欅坂のみんなの等身大な気持ちなんじゃないでしょうか。欅坂のメンバー、特に1期生は繊細なメンバーが多く、「他人なんて関係ないね」と思い切れるタイプではないように思います。

また、私達の多くもきっとそうです。「君は君らしく生きていく自由がある」「戦うなら孤独になれ」「愛なんて縁を切る」といったメッセージに励まされながらも、「やっぱり誰かがいないと生きていけない」「自分を強く主張する怖さ」「自分を肯定してほしい、受け入れてほしい」という気持ちに直面し続けている。

そういう「多くの人の弱さ」をこの曲の主人公は体現しているように思います。今までの主人公が苦悩と同時にそれを引き受ける強さを持っていたのに対して、この主人公は弱い。

それは私たちの現実、そしてメンバーが「停滞」と感じていた欅坂の弱さの写し鏡のように思えるのです。

だからこそ、秋元氏は「じだばたして、かっこ悪くたっていいじゃないか」「季節(既存の価値観)なんか関係ない。新しいことも認められるまで、何度だってやろうぜ」というメッセージを送ったのではないのでしょうか。

ファンへの挑戦状

総じて言えば、この曲は「新しいアプローチを取るけど、君たちどうするの?」というファンへの挑戦状ないし踏み絵のようなものだったのではないかという気がします。

10月のプールに飛び込んだ「僕」を見て騒ぐクラスメイトなのか、「僕」に寄り添うのか。はたまた、無視を決め込むのか。

決めてみろ!

という、ある意味でアグレッシブな曲なように感じます。そういう意味ではやっぱり欅坂ならではの楽曲だと思います。

だから、「カップリングならいいけど、表題はね」とか「欅っぽくない」みたいな印象を持つのも計算のうちなのかもしれないと思うのです。

新しいことをやるアイドル

ドキュメンタリー映画の中で秋元氏がメンバーに「今までのアイドルを気にしすぎてる。もっとめちゃくちゃでいい。すべては欅坂から始まったよねと言われるようなアイドルになってほしい」みたいなことを言っているシーンがあります。

それが響いたのかそうでないのかは定かではありませんが、欅坂はてちの存在もあり、彼女のパーソナリティに影響されたダークな世界観を中心に、ライブパフォーマンスに全力を注ぐ一味違ったアイドルグループになりました。

しかし、秋元氏はたぶんそれを目指していたわけではなく、常に新しいことをやっていくグループとして欅坂を考えていて、それが偶然こういう形に行き着いたのかなと思います。そして、10プーは今までの道とはまた違う、新しい道の一歩目にするつもりだったのではないでしょうか。

結果的にこの曲はシングルにはならず、グループも改名によるリスタートを余儀なくされましたが、何となくそのスタンスは変えない気がしています。

だいたい改名自体、新しすぎるじゃないですか(笑)

言うてもミリオン達成してるし、紅白も4年連続で出てるんですよ?

そんなグループが改名とか、前代未聞でしょう?

常に新しいものを見せたいという秋元氏の「思考のクセ」みたいなものを考えると、欅坂は名前が変わっても「え?」とファンが困惑するものを突きつけてくる気がするんですよね。

私はそれを面白がれる人間でありたいなと思います。

もちろん、メンバーが楽しく活動できるという前提で、ですけどね。


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