推しを主人公にできるのがファン

推しを主人公にできるのがファン ブログ

大人数アイドルと言うのは酷なものです。

注目されやすい人もいるし、そうでない人も残念ながらいます。

秋元系グループで言えば、センターであったり、フロント、あるいは役職(坂道ならキャプテン、AKB系なら各チームのキャプテンなど)。

そういうものを務める人たちが主人公のように扱われ、それ以外のメンバーにはなかなかスポットが当たらないのも事実です。

さらに言えば、何らかのポジションを外されたりすれば、それはマイナスなこととして捉えるのが普通だし、それを無理にプラスにとらえることもないんだろうと思います。

でも、だからこそ、必要とされるのはファンの力だと思います。

世のメディアが注目しなくとも、ファンと言えないような人たちから何を言われようとも、自分の推しメンを主人公にできるのがファンの凄みです。

ファンは遠慮せずに「すごい!」「ここが好き!」と言っていいし、むしろ言うべきだとも思います。

そして、今までの行動、積み重ねをきちんと評価してあげることも大事です。

グループの中の話ではなくて、そのメンバーだけを見てあげられるのは、そのメンバーのファンです。

そもそも、ファンがグループを良くするためにどうこうなんてことを考える必要はないわけで、もっとシンプルに考えてもいいんじゃないかなと感じます。

自分の好きなメンバーを「主人公」にできるのはファンだけなんだということを今一度考えるタイミングなのではないかと最近思います。

なんとなく今櫻坂のファンは地に足がついていないフワフワした感じになっているような気がします。もちろん、櫻坂に名前が変わって、1stシングルも出て、紅白にも出させてもらって、嬉しいことが続いているのは事実です。私も嬉しいです。

一方で、「変えること」が一種の圧力のように、大きな波のように、「ちょっと待てよ」という思考すら許さないような感じで押し寄せている気もするのです。そこにみんなが流されているような感覚。違う言い方をすれば、熱に浮かされているような感じ。

必要があるのなら変えていくことは大事です。しかしながら、「変化」には時間がかかるし、変えるなら変えるなりの誠実なやり方がある。

間違っても「変えること」を目的化してはいけません。

「変えること」がすべて正しいとは限らないからです。

二人セゾンで「生きるとは変わること」という歌詞がありますが、「変わること」と「変えること」は違います。

「変わっていくこと」は受け入れていかなければいけない一方で、「変えること」はコントロールすることができる。やる、やらないの選択。やる場合の根回し、マイナス幅の減少化。粘ってみるという選択。実はできることはたくさんあります。

私は変えることを目的化したくないし、変えることによってマイナスを受ける人がいるのなら、その人に気持ちの面では寄り添いたいと思います。

変わることには抗うくせに、変えることをとにかく肯定するというのは、私の個人的な感情から言うとよく分からないのです。私は基本的に逆だから。どっちが正解ということはもちろんありませんけどね。

メンバーの顔ぶれが変わればグループは変わる。時がたてば、メンバーの精神的な部分も変わっていくから、人が同じでもグループは変わっていく。そういう自然な変化に対応する1つの方法として何かを変えていく。そういうことはあるだろうし、それはきっと正しいと思います。

でも、変えるときにはそれによってマイナスな思いを持つ人もいるわけで、そういう人たちにどれだけ誠実に言葉を紡げるか、行動できるか、寄り添えるか。そして、過去を尊重しながら、未来をどうつくっていくのかを語らなければいけない。

変化ばかりが賞賛され、過去を軽視するのなら、それは必ずつまずきのもとになります。今は過去がつくっているからです。未来が今の積み重ねである以上、過去を軽視したら必ず痛い目を見ます。

自分の好きなグループ、メンバーの過去、今をちゃんと見てあげて、主人公にしてあげてください。浮足立って未来ばかり見ていたら、思わぬ石につまずいてしまうこともあるかもしれないのだから。

どうかお願いします。(私はどういうポジションなんだ?)


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