THE LAST LIVEの1日目では、黒い羊が披露されました。
これまで黒い羊はるんちゃん(森田ひかる)が代理センターを務めていましたが、今回はゆいぽん(小林由依)でした。
これは色んな意味があると思うのですが、ゆいぽんは黒い羊のパフォーマンスにおける一貫した登場人物です。
私はセンターが変わってもこの登場人物自体は変わっていないと思っていて、それぞれの「人物」のまま、役割が移動していると解釈しています。
そういう意味で、今回ゆいぽんがセンターを務めたのは、森田センターバージョンを経由したからこそであり、黒い羊をめぐる物語を終わらせるものだったのではないかと思いました。
今回はそんな黒い羊をめぐる物語について、書いてみたいと思います。
黒い羊のパフォーマンスを見るときはゆいぽんに着目してみると面白いと思います。
第一章:背負い人~ゆいぽんは黒い羊から何を託されているのか
通常のパフォーマンスでは、最初みんなを救おうと奮闘するてち(平手)をみんなは突き飛ばします。しかし、途中からゆいぽんはそれに応えるようになります。つまり、ゆいぽんは白い羊の群れの中にいる黒い羊なのです。
その後、ゆいぽんは黒い羊に応えてしまったがゆえに白い羊たちから迫害されます。そこで苦しむゆいぽんをてちは群れから連れ出して、苦しまなくていいとでも言うようにハグをします。
最後にてちは手に持っている彼岸花をゆいぽんに託します。虹花ちゃんがその2人を群れから外れたところで、最後まで見つめて、パフォーマンスが終わります。
すごいざっくりとした説明ですが、何が言いたいかというと、最後に彼岸花を渡されているのでゆいぽんはてちから何かを託されているんです。
歌詞の中では僕が最後に「ここで悪目立ちしてよう」と言っています。また、MVの無音のところで何か叫んでいるんですが、あそこはたぶん「僕だけでいい!」と言っているように思います。
「この世に起きる絶望のすべては、みんなみんな僕のせいだ。苦しむのは僕だけでいい。僕がすべてを背負ってやる」
そういう思いを僕は持っているんじゃないかという気がします。
そして、それを決めたからこそ、ゆいぽんに彼岸花を手渡している。
彼岸花は「死」を連想させる花ですし、MVでも最初のところは飛び降りを図ったようなシーンから始まります。それはなぜか。それはきっとみんなの絶望を背負ったからなのではないでしょうか。
同時に彼岸花には「情熱」や「独立」、「転生」、「あきらめ」、「また会う日を楽しみに」といった花言葉もあります。(彼岸花は決まった時期に一斉に咲きます。そしてそれは毎年同じ時期です)
だから、「僕が君の苦しみを全部背負ってあげるから、君は自分らしく生きて。また会おう」というような意味合いがあるんじゃないかと思うのです。そういう「約束」をここで2人はしているのではないかという気がするのです。
第二章:何度も再会して、最後に僕は旅立った
ところが、昨年年末のMステでの披露では少し違う終わりでした。
セットを組んでもらって、MVに準じたような進み方をしますが、最後に僕は光に照らされたまるで祭壇のような場所に行こうとします。それをゆいぽんは止めます。
「だめだよ、あなただけがずっと苦しむなんて」
とでも言うように。
でも、僕はそれには応えず、その祭壇のような場所に行ってしまいます。最後にゆいぽんはゆっかー(菅井)を筆頭にした白い羊たちにハグされて終わります。
この解釈はなかなか難しいのですが、ゆいぽんはずっと救ってくれていた僕を最後まで救えなかったことに自責の念を覚えているのではないかという気がします。それに対して、みんなが「あなただけが苦しむ必要はないんだよ」と言ってあげているのかなと思います。「一人で背負って、苦しむのが正解とは限らないんじゃないの?」という僕とは違う考えが示されているようにも感じます。
白い羊の中にも黒い羊はいて、黒い羊の中にも白い羊はいるからです。
みんなも、そしてファンも、この「僕」を見たのはこれが最後でした。「僕」は本当に旅立ってしまったのです。
第三章:新たな黒い羊を救え!
ここで物語は第二章に転じます。
新しい黒い羊として、るんちゃん演じる「僕」が登場します。(CDTV年越しプレミアライブ)
ここでのゆいぽんの立ち位置はこの「新たな黒い羊」を救いたいというものなのではないかと私は解釈しています。
「僕(平手)」を救えなかったから、今度は私が黒い羊を救う番だと。背負い人がゆいぽんにバトンタッチされたようなかたちになっています。
実際、大サビのところで群れから外れて二人でダンスをするところでは、今まではゆいぽんが苦しむのをてちがハグしにいきますが、ここではるんちゃんが苦しむのをゆいぽんがハグしにいきます。役割が逆なんです。
また、彼岸花をゆいぽんは託されません。るんちゃんはそれを持ったまま、白い羊たちの中に入っていき、パフォーマンスが終わります。白い羊たちと常に訣別しようとしていた「僕(平手)」と白い羊たちの中に入ることを決めた「僕(森田)」は違います。
ゆいぽんはそういう意味で、「新たな黒い羊」を救うことが出来たように思います。でも、ゆいぽんはどうなのでしょうか。
最終章:救い人は救われるのか
残るは新たな「救い人」「背負い人」であるゆいぽんです。
ここで先日のラストライブでの黒い羊になります。
森田バージョンを経由しているからこそ、今度はゆいぽんが「黒い羊」になる必要があったのです。
救うことができたゆいぽんは、以前の「僕(平手)」と同じように旅立ってしまうのか。
今回のラストライブでの黒い羊では、最後に理佐がゆいぽんの手をとり、みんながいる方へ走り出します。誰も置いていかれることのないラストでした。
これは「一人ですべてを背負う必要はない。みんなと一緒に生きていこう」というメッセージなのかなと思いました。
黒い羊の中にも白い羊の部分があり、白い羊の中にも黒い羊の部分がある。それぞれがそれぞれを補い合っていけばいい。1人で頑張る必要はないんだよ。時に黒い羊を救い、時に黒い羊に救われ、白い羊のときに黒い羊を笑わない。それでいいんだよーー。
これでゆいぽん扮する黒い羊も救われたのではないかと思います。
結果的に、以下のようになったと私は解釈しています。
平手→みんなの苦しみを背負って旅立つ&ゆいぽんを新たな救い人に
森田→ゆいぽんによって救われる
小林→一人で背負う必要はないんだという結論に至る
小林由依が実は主人公だったのではないか
こう考えていくと、黒い羊の主人公は実はゆいぽんだったのではないかという気もします。
黒い羊に救ってもらったのに、その黒い羊を助けられなかった。だから、別の黒い羊を救おうと奮闘して救った。救ったのだから自分も旅立たねばと思ったところで、1人で全部背負わないでとみんなが言ってくれた。
そういう大きな物語を黒い羊のパフォーマンスは見せてくれたのではないかと私は思いました。
もちろん、人によって解釈は色々だと思います。
むしろ、そういう様々な解釈ができる作品を作り上げたことは素晴らしいことです。なかなかできることじゃありません。
Nobody’s faultとのつながり
ところで、櫻坂としての1stシングルの「Nobody’s fault」は黒い羊を意識しているような気がするのは私だけでしょうか。
タイトルを訳すと「誰のせいでもない」です。
歌詞でも「誰のせいにもするな」「自分のせいにもするな」と出てきます。
特に「自分のせいにもするな」は印象的です。黒い羊では「全部僕のせいだ」と言っていたので。
黒い羊をめぐる物語で唯一救われなかったのは最初の「僕」です。すべて自分のせいだと言って旅立ってしまいました。
でも、そんな僕に対して「もう一度生まれ変わってみろ!」と奮起を促すような感じにも受け取れます。センターが救われた側である、るんちゃんなのも、何となく意味ありげです。
まあ、Nobody’s faultは欅坂の今までの歌詞をモチーフにしたような箇所がいくつかあるので、色んな解釈ができると思うし、とても面白い曲だと思います。メンバーに対しての奮起を促している面や、ファンに対して「お前らいい加減にしろよ」とでも言いたいのかなという部分もあります。
そのうち記事にしますね。
おわりに
すごい長い記事になっちゃいましたけど、大丈夫だったでしょうか(笑)
黒い羊は好きというか、大切に思っている曲なのもあって、書き出すと止まらんのですよ。
ゆいぽんに注目してパフォーマンスを見てみると、また新しい発見があるかもしれません。先日発売されたベストアルバムの特典映像で黒い羊も入っているので、見返してみるといいかも。あれはまた今回書いた解釈とは違うように受け取れるかもしれません。
いやあ、本当にすごい曲です。「黒い羊」は。パフォーマンスしていて辛いこともあったと思うのですが、それだけの価値は確実にあったと思います。救われた人はきっとたくさんるはずです。
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