昨日のレコメンで2ndシングルの「BAN」がフル解禁されました!
結構カッコイイ系で良かったですね~。
サビも疾走感が強く、印象に残っています。
詞は大学生あたりの子が主人公なのかな~って感じですね。
「ノバフォ」や「最終の地下鉄に乗って」もそうでしたが、欅坂時代よりは少し上の世代が登場する感じの曲です。
このあたりが櫻坂で描いていくコアな世代なのかなという感じですね。メンバーも特に2期生はこのあたりの世代の子たちが多いですし。
詞をストレートに受け取ると、一種のモラトリアムを過ごしていた主人公は周囲が急激に「社会化」していき、自分が置いてけぼりになっていく感じを味わうという流れですね。だからといって、頑張ってそっちに行くのではなくて、自分を捨てないという決意表明をして曲が終わります。
BANというのは禁止などを意味する言葉ですが、ほかにも「世論による圧力」とか「追放」といった意味もあります。
欅坂時代の「自分らしく」とはポジティブ具合が違いますが、社会という存在からの圧力に負けてたまるかという反骨心を感じさせる曲になっています。
私は真面目な大学生でしたが(笑)、遊んでいる子たちも確かにいて、でもそういう子たちほど要領よく大きな会社に入ったりするんですよね。かたや私は社会的にはかなりマイナーな場所にいます。
そういう「遊んでたじゃん」的ないらだちは、昔あったなあと思います。世渡りが下手という話なんですけどね。
しかし、秋元さんの楽曲はグループに向けたメッセージとしても書かれていることが多いです。
今度はそういう目線で見てみましょう。
そうすると、昨日ゆっかーもチラッと言っていた気がしますが、改名したという事実へ当てた詞のような気もします。
BANはつまり欅坂として活動することを禁じられ、変わらなければならないと無理強いされた感じを表しているのかなと思います。
「僕」が欅坂で一貫して描かれていた人物の一人称であったので、
「僕だけ退場ってこと?」
とかは何となく意味ありげです。
「もう今さら違う自分になんてなれるわけない」
「もう1回くらいやり直すためにチャンス与えてくれよ」
「見捨てるつもりなのか?」
「いきなりそう一方的に未来を失格にされた」
あたりの歌詞は、グループの気持ちを代弁したもののようにも見えます。
「変わらないっていけないことなの?」
「『分かりました、改めます』って反省なんかしない」
「僕は絶対にBANされるものか」
とかは、欅坂として培ってきたものを捨てるべきではないよというメッセージな気もします。
実際、もちろん変わったところもありますが、欅坂として大事にしてきたパフォーマンスのクオリティであったり、カッコいいメッセージ性がある楽曲を歌うというという部分は引き継いでいる感じです。
ほかにもグループとして大事にしていること、根幹部分は変わっていないのではないかなあとは思っています。
こういう風に解釈すると、面白いな~と思いますね。
まあ、改名も含め、プロデューサーは「やった側だけどな」とは思いますが(笑)
MVはバキバキに踊る感じらしいので、カップリング共々楽しみですね!
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