先日、「僕のジレンマ」のMVが公開されました。
全体的な感想を見てると、ほぼ絶賛という感じでしたね〜。
私はというと、正直にいえば「あんまり面白くないな」「無難だな」と思いました。
確かに美しいとは思ったし、理佐や一期生がフィーチャーされていた部分、おぜちゃんが泣いていたところとか、印象的な部分はありました。多くの人が書いていることを理解することはできます。
でも、私がMVに求めているものとは違うなと言う感じでした。
最初から、MVという作品ではなく、「メモリアル映像」みたいなものだと考えれば良かったのかもしれません。あと、宣伝をすごくしていたので、自分の中でのハードルが上がっていたというか、よっぽどの隠し玉があるのではと思っていたのも「無難」に感じてしまった一つの理由かもしれません。
なお、今回は結構ネガティブ要素が強いですが、あくまで私の価値観の話で、誰かの価値観を否定するつもりがあるわけではないし、私の価値観が正しいと言うつもりもありません。ただただ、私の価値観を語るという趣旨です。
エモいの罠
感想を見ていて多かったのが「エモい」というワードです。
「エモい」は「エモーショナル」から来ている若者言葉で、徐々に市民権を得ている類の新語です。
「エモーショナル」とはつまり、「感傷的」ということですね。
で、「感傷的」というのは感情が刺激されることです。特に涙が出るような感情が刺激されることを感傷的と言います。
もちろん、私たち人間はこういう感情を持つことで、人に優しくできたり、共感したりできるので、必要な感情ではあります。
なのですが、私の中では「芸術・アート」は感傷的なものとは異なるというのがあります。
例えば、映画やドラマで「余命もの」、「動物もの」は鉄板の「お涙頂戴もの」です。
まさに「エモさ」に全振りした作品です。
無論、商業作品ですから、そういう作品があることは否定しないし、ニーズがあるのも分かります。
でも私は好きではない。
なぜか。
何となく楽をしてるように思うからです。
ある意味で方程式が存在していて、そこに違う人や設定を放り込んでいるような感じがするのです。
これは自分的にはアーティストのクリエイティビティという面から見るとつまらんと思うのです。
だって、aと入力したらAとなるのが分かりきっているのですから。
こんな面白くない話はありません。
ワクワクしないじゃないですか。
(これを突き詰めているんだというのであれば別ですが)
私がMVに求めているのは、楽曲と櫻坂というグループを使って、監督がどんな料理を作るのかです。
その化学反応にワクワクしたいのです。
前にBRODYのインタビューで、ジャケ写とかのアートワークをしてくださっているOSRINさんが「エゴがなきゃ何も作れないと思ってます」(BRODY・2021年6月号 P55)と言っていたのですが、まさにそうだと思うのです。(このインタビューは本当に素晴らしいので、ぜひ読むべきだと私は思います)
「私は他の誰もやっていない、こういうのが描きたいのだ!」「私はこう思うんだ!」というこだわりや尖り。それを感じたときに、アートだと私は感じるわけです。
だけど、独りよがりになってはいけなくて、自分の描きたい表現と受け手が受け入れられるラインのギリギリを攻める必要はあります。商業作品なので。特にアイドルは。
そこのチャレンジを私は櫻坂に求めているし、これが欅坂を好きになった最大の理由でもあります。
これがなくなったら、私は今みたいな熱量で櫻坂を追えなくなってしまうだろうと思います。
まあ、アイドルなんだからアートなんかいらねえよというのも一つの考え方でしょうが、それはもはやこのグループの存在意義に関わってきますよね。
アーティスティックという個性が無くなったら、極端なことを言うとこのグループは質的には終わってしまうと思います。
話が長くなりましたが、要するに私は「エモい」に高い価値を与えるべきではないと思っているのです。
「エモい」は感情に直接訴える強さを持ちますが、それゆえ価値判断を狂わせるものでもあります。
今回もいろんな感想とかを見ていて「こっちが表題でも良かった」といったものも見ましたが、それは「エモさによる錯覚」だと私は思います。
まずもって、このMVや楽曲のエモさはファンじゃないと分かりません。曲も詞も攻めた部分は少なく、あくまでファン向けのものだからです。(純粋にいい曲だとは思いますけどね)
さらに言えば、私のような二期生加入後から欅を見ている人からすると、ファンの一期生へのこだわりが理解しきれないところがあります。ある程度は分かってるつもりですが、きっと真の意味では永遠に理解できないだろうと思います。経験してきたものが違いますからね。
だから、この曲を表題曲にするのは、私からすると無い選択肢です。外部の人にはほとんど伝わらないし、ファン内でも経験的な部分で温度差が生じるものを表題にはできないよ、と。
でも、「エモい」とそれもありかもしれないと思いますよね?
ここに「エモい」の怖さがあると思うのです。
監督のチャレンジ
前述したように、私は監督のチャレンジをMVには求めています。
ですが、感想を眺めていると「監督の趣味嗜好が出ていなくて良かった」的なものもありました。(おそらく五月雨よと対比してるんでしょう)
これは私とは真逆の価値観ですよね。
私の価値観から言うと「つまんなくない?」と思ってしまいます。
だって、全部自分の思い通りのものが出てくるんですよ。全然面白くない。
「ワォ、こういうのできたか!」がほしいわけです。私はね。そして、それが櫻坂やメンバーの魅力を引き出してたら、まあ最高なわけですよ。それが完璧にハマったものの一つがなぜ恋ですよね。
予想の斜め上を見せてほしいというか。今回のMVは私はともかくとして、多くの人の予想というか期待は超えたのでしょうが、それはまっすぐ超えているんだと思うんですよ。予想を予想通り超えた。
でも、私は斜めに行ってほしいわけです。
100%成功する告白より、どう転ぶかわからない恋愛のほうが熱が入るでしょう?(笑)私だけかもだけどw
欅の時からですけど、櫻坂にはそういうのがあると思うし、そういうチャレンジをしてみたいとクリエイターに思わせるのが、櫻坂の大きな魅力だと思います。
実際、OSRINさんにアートワークをしてもらったり、スタイリングの多くをRemi Takenouchiさんにやってもらっていますが、これらの方々はアイドル畑のクリエイターさんではありません。むしろ、アイドルとは逆のよりアーティスティックなものが求められるところで活躍してきた方々です。
櫻坂はMVも含め、アイドル畑でない人たちに作品に関わってもらうことで、アイドルという枠組みをぶち壊し、アイドルの良さを活かしながらも、違うものを作り出そうとしているグループだと私は思います。
そのためには、櫻坂はチャレンジし続けないといけないと思います。
クリエイターに「こんなもんか」って思われたら、終わってしまう。
「こんなのもいけるんだ!」「それなら、こういうのもやらせてみたい」と作り手にも受け手にも思わせる、そんなグループでいてほしいし、いなくちゃいけないと思っています。
そういう意味で「五月雨よ」のMVは全編フィルム、浮遊感ありつつも合成なし、曲調も今までの表題に無いもの、センター天ちゃんということでチャレンジは感じたし、五月雨よの雰囲気から、櫻坂の雰囲気も表現しようという制作チームの熱量も感じたので良かったと思っています。好みは色々あるでしょうけど。
もう少し具体的に言えば
もう少し具体的なことを書けば、要素要素はもちろん良いところもあると思うんです。さっきも書きましたが、多くの人が「ここがいい」というポイントは理解はできます。
ただ、要素が多すぎて1つの作品としては少し散漫になっている印象なんですよね。
理佐の気持ち、1期生の気持ち、2期生との絡み、踊り、美しさなどなど。
どれを一番押し出したいのかがあまりピンとこなかったんです。まあ、これは私のアンテナのほうの問題なのかもしれませんが。
楽曲のテーマであったり、卒業する理佐がセンターと文脈がはっきりしているだけに、MVで個性を出すのが難しかったとは思いますが、監督がどこを一番表現したかったのか分からなかったのが、「面白くない」と私が感じた最大の要因だろうなと思います。
MVには楽曲の世界観をより強めたり、深めるものにしてほしいと私は思っているのですが、楽曲の範囲内に収まってしまった感があるのです。
もう少し監督が暴れても、つまりはエゴを出しても良かったのでは? みたいな感じを持っています。
今回監督された金野監督はHPとかみる限りでは、CM系やWeb movieがメインでこういう大きなMVは初めてだったようです。そういう意味で運営としても、監督としても、一つのチャレンジをしていたと思うのですが、それゆえにもっと個性が出ても良かったんじゃないかなあと思ったりしました。
まあ、個性を出すほど万人受けしなくなるので、バランスが難しいよなとは思うんですけど。
このMVの位置づけ
と、まあ、かなり渋いことを書いてしまったわけですが、頑張ってきた一期生へのご褒美みたいに捉えれば、これはこれでアリなのかなとは思います。
全員曲ですし、喜ぶファンがいるのは事実でしょう。
一種の特典映像というか。
私が求める、アーティスティックで監督のエゴと櫻坂の相乗効果があるMVではないと思いますが、一つのMVのあり方ではあるのかなと。
でもこれを主戦場にしてほしくはないというのが、正直なところです。
これからも、攻めたMV、待ってますよ!
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