消してはいけない「欅坂の灯」

消してはいけない「欅坂の灯」 ブログ

欅坂がどうたらとか書くと、また亡霊かとか言われそうですが、私は欅坂と櫻坂は別のグループだと思っていないので、必要ならば欅坂の要素も引き継いでいくべきだと思っています。ものごとは、何でもかんでも新しくすりゃあいいというもんでもありませんからね。(逆に何でもかんでも引き継げばいいというもんでもありませんが)

で、最近オタク的なモチベーションが低下気味なのはなんでかな~と思っていて、色々考えた結果「欅坂の灯」が消えそうだからだというところに行き着きました。

ただ、世間一般に言われている「欅坂らしさ」とは少し違うと思います。

というわけで、今回は私が消してはいけないと思っている「欅坂の灯」の話です。

欅坂の灯

ファンや世間的なイメージで言うと、「欅坂らしさ」というのは「不協和音的なもの」だと思われます。

ほかにも「低音が特徴的な歌声」などもあるかもしれません。あとは「笑わない」とか。まあ、笑わないは誤解だと私は思いますが。

でも、私はそういうところは変わっていくものだと思っています。あれはてちがセンターだからこそ生まれる世界観であって、別のメンバーを軸につくれば、その世界観が変わっていくのは当然です。

欅時代はずっとてちセンターだったので、そうでない世界観が前面に出ることはありませんでしたが、例えば「バスルームトラベル」はユニット曲とは言え、ねるセンターの世界観がきちんと出ている楽曲です。

私は今いるメンバーの個性を活かして、それが活きる楽曲をつくってほしいと思っているので、櫻坂の1stシングルの楽曲群は良いものが多いと感じています。

なので、楽曲とかは別にいいんですよ。欅坂を無理に追いかける必要はないです。

ただ、メンバーはもちろん、ファンまでをも含めたグループの雰囲気は、欅坂をある程度継承してほしいと思っているところがあります。

具体的に言えば、「謙虚・優しさ・絆」の精神です。

欅坂時代はグループとして「自分らしく生きろ」という強いメッセージを出すことが多かった中で、メンバー同士は強い関係性を持っていました。いわゆる「21人の物語」みたいな。

あんまり強すぎるとそれはそれで問題かもしれませんが(依存になっちゃうからね)、みんなで支えあうこと、お互いがお互いを思いあうこと。

そういう雰囲気がグループとしてあって、ファンもそれを一つの物語として受け取り、支えてきた面があります。

別の言葉を使うと「弱さを出すこと」です。

「強くない」からこそ「みんなで支えあおう」という感覚になるものだと思うのですよね。

最初から自分は強い(=弱いと認めたくない)と思っている人は、他人に対しても一種暴力的です。

ところが、人間ってみんなめちゃくちゃ弱いんですよ。本当は。

でも、弱いからこそ誰かと協力して生きていくわけです。

私が欅坂に感じていた大きな魅力の一つが「弱さをちゃんと受け止めてくれるところ」です。楽曲もそうだし、グループの雰囲気も。

それはメンバーがみんなどこかでそういう自覚があったと思うんです。もちろん、それゆえの難しさもあって、弱さが後ろ向きに出てしまうとメンタルが落ち込んでしまいますし、自分を守ることが第一になるのでまとまるのが難しくなります。でも、弱さをエネルギーに変えられたときには、まとまってすごい力を発揮する。

私たちが欅坂のライブを見て、心を揺さぶられるのはそういう「弱さゆえのエネルギー」があるからだと個人的には考えています。

そういう弱さに自覚的だからこそ、人に優しくできるし、誰かを救うことができるんだと思うんですよね。

つまり、この「弱さを隠さない」ところが実は欅坂らしさの根幹、「欅坂の灯」だと私は考えているわけです。

櫻坂での欅坂の灯は弱まっている?

私はここ数ヶ月の櫻坂を見ていて、この「欅坂の灯」が少し弱まってきているように感じています。

メンバーがどう思っているのかはちょっと分かりませんが、ファン周りの雰囲気は何となく。

そういう弱さを認めないというか……。

例えば、櫻エイトがどうこうとか、選抜がどうこうとか。選ばれなかったら、それはやっぱり悲しいし、「何でや!」となるものだと思うんですよね。特に推しメンがいるファンは。

でも全体的には、「グループのために競争は良いものだ」という雰囲気があるような気がするんですよ。これは欅坂ではあまりなかった風潮です。

「選ばれないのは努力が足りないんだ」とか、コメントで書く人いるじゃないですか。逆に「選抜に入ってね」みたいな励ましも、悪いとは言いませんが、自分の力だけでどうこうなるものでもないので、いつもありがたい言葉かと言われるとそうでもないような気がします。

前も書きましたけど、1つだけのものさしで測られると、モチベーションが下がってしまうと思うんです。

だから、ファンが「あなたはこういうところが良いんだ。だから、このグループに必要だ!」ということを言っていったほうがいいんじゃないかと思うのです。

選抜的なものが導入された以上、今までのように仕組みだけでモチベーションを維持させることが難しいわけですから、そういう「優しさ」が余計必要になってくると思うんです。これは運営のマネジメントの問題もありますが。

私はせっかくアイドルになれたのだから、できるだけ長く、みんなには活動してほしいと思っています。

グループのために責任をとるとかしてほしくないんですよ。

自分も活きて、グループにも貢献できる分野をメンバーのみんなに見つけてほしいし、それをファンは後押ししてあげるのが一番良い関係性なのではないでしょうか。

メンバーの弱さを受け止めたうえで、「でもあなたはこういうところがすごい。だから、櫻坂にいる意味がある」という雰囲気。

欅坂のときにそれが強くあったのかはよく分からないですが、少なくとも全員選抜へのこだわりみたいなものはファンにもあって、のけ者を出すべきじゃないという雰囲気があったような気がするんです。

でも、最近はそういうこぼれてしまったり、何か外れてしまったりしたメンバーへの目配りが足りないのではないかと思うことが多くて、勝手にへこんでいます。(モリタクラブのときのりこぴ、あかねんの副キャプテン交代など)

雰囲気の変化

ただ、先日発表されたりこぴの卒業で、雰囲気が少し変わってきたのかなあとは思っています。

何となく(ファンが)みんな浮かれていて、ポジティブなところにばかり目がいっていたのが、急激な変化はいいことばかりではないということが少し出てきたのかなという気もしています。

りこぴのことについては、また筆を改めて書こうと思っていますが、りこぴの欅愛が非常に強いことはよく分かっていたし、櫻坂になっても続けてくれるのかなと正直心配はしていました。改名後も続けてくれて嬉しかったですが、続けようと思わせることができなかった部分は申し訳ないなあと思います。

でもりこぴは、上に書いた「欅坂の灯」を絵に描いたようなメンバーなので、櫻坂はもう追っていない欅坂ファンからしても、刺さるものがあるんじゃないかなと感じています。「自分に自信がない」ことをちゃんと言える弱さをエネルギーにできるところがあって、個性を曲げずに持てる芯の強さもあって、欅坂の楽曲を本当に愛していた人でもあるから。

まあ、言いたいのは、グループもそうだし、ファンとしても、欅坂時代に持っていた「弱さを出せるところ」、「優しさ」であったり、「のけ者を出すな」という雰囲気、そういうものはこれからも持っていてほしいなということです。

前だけ向けなんて歌がもてはやされる時代ですが、本当は時に立ち止まることも、後ろを振り返ることも必要です。迷ったり、寄り道できることは、実は幸せなことでもあるのです。

このブログで何度も書いてますが、みんなには活動を楽しく、自由に、自分を曲げずにやっていってほしいなと強く願っています。


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