ある櫻坂ファンの嘘と真実

ある櫻坂ファンの嘘と真実 ブログ

※メンバー名は敬称略

あの日、私は衝撃で頭がクラクラしていた。

2020年7月。

新型コロナウイルス対策で活動が制限されていた欅坂が本格的に活動を再開した、いわゆる「配信ライブ」の終盤だ。

小林由依が堂々とセンターを張った「ガラスを割れ!」が終わり、メンバーが集まる。

キャプテンの菅井友香が息を切らしながら、口を開く。そして私達に告げた。

「私たち欅坂46は、5年間の歴史に幕を閉じます。そして、欅坂とは前向きなお別れをしますーー」

予感がないわけではなかった。

公式サイトに突如現れた、配信ライブを絶対に見てほしいというメンバー一同からの異例のメッセージ掲示。

平手友梨奈が脱退し、グループがこれからどこへ向かうのかという不安。

ファンの中でも改名や解散といった話が出ていた。

私は解散は論外として、改名だってあるはずがないと思っていた。

欅坂という確固としたブランドを運営がみすみす捨てるはずがないと。だが、どこにも考えが無かったのかと言われれば、やはり少しはあったと思う。

そして、ファンの予想は見事に当たる。

欅坂は「改名」を決めていた。

その日、私はセットリストをノートに書き留めていた。

ガラスを割れ!までは意気揚々と書いていたのをよく覚えている。

「Student Dance」や「Nobody」は演出が凝っていて、見ていてとにかくテンションが上がった。小池美波のアンビバレントはそれまでのアンビバレントとはまた違う、彼女らしさのあるパフォーマンスになっていた。

そして、あの告知。

あの告知もメモしていて、「欅坂に幕を下ろす。メンバーは変わらない?」と私は書いていた。

改名なのか、そもそもグループそのものが無くなってしまうのか、それすら分からない中で、ひどく動揺した。

私はファン歴が決して長いわけではない。熱心に追うようになったのは2019年の夏頃だ。

ふと、YouTubeで渋谷川のMVを見て、それが欅坂であったことに衝撃を受けた。欅坂のイメージはサイレントマジョリティーであり、紅白でなにかあったグループという印象で、明るいイメージを持っていなかったから。ギャップがすごかったのだ。

それからMVを貪るように見た。

このグループはすごいグループなのではないか。

それから冠番組(けやかけ)も見るようになって、ブログも、インタビューもできるだけ読んだ。

彼女たちが伝えようとしてきたメッセージ、そしていつも「戦っていた」姿勢に強く惹かれた。それまではアイドルをどちらかと言えば毛嫌いしていたほうだったのに。

平手友梨奈に関しても、暗く眼光の鋭い子程度のイメージしかなかったが、実際は気さくな一面もあり、グループ愛の強い子だということも知ることができた。

私は欅坂が大好きになった。

ファン歴が長いわけではないけれど、彼女たちを理解しようとしてきた時間に嘘はないし、欅坂に触れていた時間はとても幸福感があった。

だからこそ、改名すると聞いたときのショックは大きかった。

ライブを見て、「これからもやっていけるな」と思った矢先だったからだ。

その日、ツイッターでたくさんのツイートを目に涙を浮かべながら読んだ。

なかなか寝付けなくて、自分が思っていた以上に欅坂のことを大切に思っていたんだと自覚した。

それから「改名なんて嫌だよ」という思いと、メンバーのブログを読みながら「改名したほうがみんなにとっては幸せなんだろうか」という思いを行ったり来たりする日々が続いた。

しかし、「10月のプールに飛び込んだ」への反応を見て、「改名は良かったのかもしれない」と思うようになった。

みんなが「欅坂は平手的であるべきだ」というものに縛られているように感じた。私自身は10月のプールは割と好きなので、特にそう思ったのかもしれない。

そして迎えたラストライブ。

1日目のアフターライブで特に2期生のコメントには心揺さぶられた。

あまり泣くイメージのなかった井上梨名が涙ぐみながら話をしたのに少し驚き、関有美子は泣きながら「生まれ変わってももう一度欅坂に入りたい」と語った。

2期生は欅坂に憧れて、欅坂に入ってきたのだから、至極当然の感情だったのだと思う。

この時期、私は2期生にとても救われていた。2期生にはどこか欅坂への未練のようなものが感じられて、それが改名をめぐる心の傷を癒してくれていたのだと思う。

「わたしたちも一緒だよ」というものを言外に感じていたのだろう。

2日目、それまでにほとんどの曲が披露されて、最後の最後。

キャプテンの菅井友香は「皆さんとの5年間はずっとずっと宝物です」と私たちに話してくれた。

ライブ終了後、サプライズで櫻坂としての1stシングル、Nobody’s faultが披露された。

素直に「かっこいい、良かったじゃん」と思った。

急にザ・アイドルソングになってしまったら、ちゃんと受け止められるか不安だったからだ。

だが、それ以上にみんなから気迫が感じられたことが大きい。森田ひかるのあの表情。「やってやろうじゃないか」という覚悟。

そこで私は決めた。

欅坂という財産をなげうってまで、新しいものを求めた彼女たちを、彼女たちの覚悟を、ちゃんと応援してあげようと。

と言いつつ、ライブ翌日に土生瑞穂があげたブログでライブ限りで卒業した佐藤詩織が欅ポーズをしているのを見て、「本当に欅坂は終わってしまったんだ」と泣いてしまったのだが。

とはいえ、ラストライブで切り替えた私は、櫻坂らしさを作っていってほしいと思い続けてきたし、そう言い続けてきた。

私が欅坂を好きだった最大のポイントは、自分らしくいることを体現し続け、戦っていたところだ。

そこは変わらないでほしいと思っていたし、彼女たちは変わらずにやっていけると思ったのだ。

ところで、私は「応援」という言葉をよく使う。

これは何のために使っているのかといえば、結局は私自身のためだ。

私はとても弱い人間で、社会的な標準ルートを外れてしまった人間だ。だからこそ、「あなたはあなたらしく」と戦い続けてきた欅坂にとても救われたのだ。

彼女たちを応援することで、私は自分自身を救っていた。

あたかもメンバーのためのようなことを言いながら、結局は自分のための応援なのである。これは一種の嘘だ。

それに、おかしな話かもしれないが、欅坂はほかのグループ、乃木坂や日向坂とは違うというところも私の好みだった。

欅坂はアイドルっぽさが少なく、むしろアーティストに近く見えた。ロッキンに呼ばれているのを知って、「音楽文脈」でも評価を受けているのを誇らしく思った。

アイドルっぽくなく、ロックファンも魅了できる存在を私は応援しているんだという事実が、私のちっぽけな自尊心を満たしてくれていた。

櫻坂になってから、楽曲は欅坂とは違うものが増えた。私は楽曲自体は欅坂を追いかける必要は無いと思っている。今の彼女たちらしさが出せれば、それが一番だからだ。

そうしてもらうことで、私は私自身を救い続けることができる。

だが、ここ最近それが難しくなってきた。

端緒は3列目メンバーライブの発表だった。

櫻坂はみんなで一つのものを【作る】というのを大切にしてきたグループだと私は思っていて、だからこその櫻エイトシステムなんだと考えていた。

しかし、3列目だけを取りだしてライブをするというのはこの流れに反するように思えた。【作る】のではなく、これはメンバーを演出することに重きがあるからだ。

だが、ニーズがあるのは確かで、実際喜んでいるファンの方が多かった。

しかし、こういうファンに媚びるようなやり方は、櫻坂らしくないのではないかと感じたのである。(一方で櫻エイトが教えに行っているというのは櫻坂らしいと思う)

さらに、その気持ちを加速させたのは日向坂の「世界には愛しかない」の披露である。

披露自体は好きにしたらいいと思っていたが(ファンになった時期が遅いので日向坂にそこまでの思い入れがない)、日向坂のファンや櫻坂のファンの「櫻坂も欅の曲やればいいじゃん」にひどくイライラした。

ブログにもしたが、あのラストライブの涙、そして私たち、いや私の気持ちが踏みにじられたように思えたからだ。

あえて語弊のある言い方をすれば、欅を捨ててでも、新しい道を選んだのだから、その覚悟をどうしてもっとちゃんと汲んであげないのかと。

しかし、私のような考えの人は少なく、あの配信ライブのときにTwitterで共に悲しんだ人たちは、むしろやってほしいと言わんばかりであった。

私は悟った。

私のようなファンはきっともう邪魔なんだと。

それは昨日、確信に変わった。

「W-KEYAKI FES」の開催。合同ライブ。それに喜ぶたくさんのファンたち。

アイドルっぽくないグループ、欅坂を捨ててでも新しい道にチャレンジしようとした覚悟(これは私の勘違いかもしれない)という、私の好きな要素はほとんど消し飛んだ。

実際のライブがどんなものになるかは、当たり前だが分からない。でも、節々に見えるそれは、私の好きだった幻想を打ち砕いたと言っていい。

欅坂は「消費対象」になった。これはリアリズムの極地だ。もう彼らにとっては応援の対象じゃない。欅坂はある意味で2度死んだ。実態の死、そして概念・スタンスとしての死。
(実際に曲をやるかどうかは関係なく、名前を使った時点でそうであると私は思った)

さらに日向坂と合同で何かをやるという実にアイドル文脈的な企画。「エモい」ことを狙った文章。(単独ライブがあるからいいとかそういう話ではなく、もっと根本的な話である)

これは私の抱いていた幻想とは程遠い。

しかし考えてみれば、アイドルなんて所詮幻想なのだ。

アイドルファンはほぼ全員が自分の持つ幻想を追い求めている。

今、私の2年くらい浮かされていた、アイドルファンとしてはひどく変わった幻想が終わったに過ぎない。

それは他の人からすれば、取るに足りないくだらない、そして非常識な幻想だろう。

でも、私にとってはとても大事な、本当に大切にしてきた幻想なのだ。

それは誰にも否定されてたまるものかと思う。

それぞれに欅坂や櫻坂に惹かれた物語があり、それぞれが幻想を追いかけている。それは否定されるべきではない。

さて、これからどうしようか。

幻想破れて山河あり。

ここで、もう応援は辞めると言えるならこんなに楽なことはない。

でも、私はあいにくそんなに切り替えのいい人間ではない。

それにメンバーのことは大切に思っている。これは変えがたい真実だ。表題メンバーをミーグリの人気順で選べばいいとか、絶対に言いたくないぐらいには。それぞれのメンバーに色んな魅力がある。それをどうか引き出してほしいと今でも切実に思っている。

そして、このブログはそもそも、欅坂が誤解されがちだったので、欅坂のファンに自信を持ってもらいたくて始めたものだ。

あなた達が応援しているグループはこんなに素晴らしいんだよと言うために作ったものだ。非アイドル文脈からファンになった人間がこういうことを書くことに一定の意味があるんじゃないかと思ったのだ。

やっていく中でそれとはちょっと違う記事もたくさん書いてしまったが、基本はそこにある。

これは今も変わらない。

今、櫻坂には私のようなめんどくさいファンの応援はいらない時期だろう。ニーズを拾っていけばいい。その先に何があるのかは私には全く見えないけれど、もうそっちに舵を切ったのだと思う。

何かを模索しながらクリエーションするよりも、ニーズを拾ったほうが手っ取り早い。

だけど、またいつかグループとして壁に当たる日が来るだろう。

そのとき、私は彼女たちをきっと応援する。

彼女たちが単なる消費対象にならないように、必死で何かを書くだろう。

それは今までもしてきたつもりだし、これからもするつもりだ。

欅坂が冬だった時代にきちんと応援してきた自負はある。

現時点で従来のように、今のままでいいよという意味での応援はできないかもしれないが、彼女たちを見捨てるようなことは絶対にしない。これは櫻坂になったときに決めたことなのだ。

ドキュメンタリー映画でTAKAHIRO先生が言っていたように「点ではなく線で、見守っていく」

これが今の私の真実であり、これからもこのブログを続ける宣言でもある。

ファンのニーズには大きく応えられないかもしれないが、私らしく、メンバーを大切に、櫻坂らしさを賛美する。

そういうブログを書いていけたらいいなと思っている。


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