最近私はへこみ気味です。
まあ、シングル発売してしばらくすると、いろんなことが要因でよく落ち込むんですが。
最近のへこみ要因
- グループがまとうテンションについていけていないこと
- おぜちゃんのこち星パーソナリティ卒業
少し具体的に書きますね。
グループのテンション
理佐と葵ちゃんが卒業するじゃないですか。
で、まあなんか色々とメモリアル的なことが行われたり、一期生中心のSHOWROOMが行われたりしているわけですが、あんまりテンションについていけてないんですよね。
なんでかな〜と考えると、まあやっぱり終わりに向かっていくっていうのは、しんどいです。
私は箱推しですが、箱推しと一口に言ってもいろいろな種類があると思っています。
例えば、DD。誰でも大好きの略だったと思いますが、どのメンバーも推しているから、結果的に箱推しってことですね。
私はこれではないです。
いや、みんな好きですよ?(笑)
でも私の場合、その好きはメンバー起点ではありません。
私はなんだろう、「グループ推し」なんです。基本的に。
「櫻坂」が好きなんです。メンバーはそこに所属しているから好きというのが近い。
だから、逆に言うと卒業してしまうと熱量が下がります。否応なく。もちろん、情報はある程度追っているし、気にしてはいますけど、グループにいたときと同じモチベーションは保てません。
これは単推しの人が、卒業するとグループのファンをやめてしまうことがある現象の逆バージョンってところです。
だから、それが分かっているがゆえの寂しさがあります。もう今の感じで追えなくなってしまうんだっていう。
あと卒業の時期になると、どうしてもメンバーにフォーカスがあたるじゃないですか。当たり前ですけど。グループの未来とかはほとんど語られなくなります。
そこに私は上手く乗っかれないんです。
私は櫻坂を応援するときに、「今度はどんな新しいことをしてくれるんだろう?」という未来志向のクリエイティブなワクワクを一番求めているところがあります。
でも、卒業シーズンは過去の振り返りが多くなるし、これからよりも今までが強くなる分、グループ全体としてもクリエイティブよりもエモーショナルなテンションが強くなります。
そうすると、必然私のテンションは下がっていくわけです(苦笑)
一方でそんな自分を客観的に見たときに、ずいぶん薄情なファンだなと思う部分もあって、自己嫌悪的な気分になります。で、落ち込むわけです。
プラス、やっぱり欅坂との関わり方ですよね。
私にとって、欅坂は「大切な歴史」ではあるけれど、「もう完結した物語」です。
だって、欅坂はもう私にワクワクを届けてはくれませんからね。
櫻坂を応援している人には色んな人がいると思いますが、私は「欅坂が好きだったから櫻坂を応援している」のではありません。惰性で応援しているわけじゃない。
私は櫻坂が好きだから櫻坂を応援しているのです。
欅坂が好きだったあの頃と今は私の中ではまったく別物です。
もちろん、欅坂という歴史を経ていることは無関係ではありませんが、私は今の櫻坂がとても好きなんです。
何回か書いてますが、あのLAST LIVEでのNobody’s faultが私には忘れられないのです。
パフォーマンスのスキル面ではきっともっと優れたパフォーマンスもあるのでしょうが、あの日のあのパフォーマンスは未だにまぶたに焼き付いています。
あのパフォーマンスで、私は絶対にこのグループを見捨てない、見捨てちゃいけないと強く思ったのをよく覚えています。
でも、過去の振り返りが強くなれば当然欅坂の話は出てくるし、それで喜ぶファンもいる。「亡霊」という呼び方をある種好んで使う人もいるくらいですからね。
終わったはずの物語を無理に読み続けているような感覚。もう紡がれないはずの物語にしがみついているような感覚。
私はそういう感覚をあまり肯定的にとらえることができません。高校生の時とか楽しかったですが、戻りたいとは思わないし。卒業式とかも泣くという感情になったことが一回もないんですよ。基本、未来志向なんですよね。(逆に言えばドライとも言える)
だから、欅坂が好きだった頃を思い出して感傷に浸るみたいなことがないのです。
欅坂を感傷に浸る道具として使うことは、きっとこれからもないだろうと思っています。ここはファンの多数派とはおそらく違う。必要になったときに聞くことはあるかもしれませんが。
むしろ、私にとっての欅坂は櫻坂が乗り越えなくてはいけないライバルといったところです。過去は積み上げてきた歴史であり、ライバルでもある。
よくスポーツ選手が過去の自分に負けないようにと言ったりしますが、そんな気分です。
だから、あかねん、ぺーちゃんの卒業セレモニーで欅曲をやったときの盛り上がりを見て、私は悔しくて仕方ありませんでした。
櫻坂のみんなが一年かけて必死にやってきたものが、私が私なりに熱を入れて応援してきたものが、まだその壁を超えられていないことを目の当たりにしたから。まあ分かってはいたのですが、いざ眼の前にしたときの悔しさといったら。
そして、メンバーがそれをどう思ったのか。
きっと私の思いと、特に活動の大半を欅坂として過ごした一期生の思いは違うのでしょう。
そのズレを感じることがここ数ヶ月くらい多くて、それもテンションダウンにつながっている部分があります。
もはやこれはどうしようもないし、メンバーを責めたいとかそういうのではなく、このどうしようもないズレにただただ悲嘆に暮れているという感じなんですけれど。
今回の理佐の卒業コンサートがどういうものになるのかは、まだ分かりません。
でも、インタビューやSHOWROOMでの感じを見ていると、欅坂にまつわるものをやるのかもしれません。
これは理佐のためのコンサートです。
だから、理佐が納得するものにするのが正しい。
しかしそれを私が見るのが正しいのか?
また、あの悔しさを眼前で見なくてはいけないのか?
そう思うと、迷いが生じるのも正直なところです。
こんなやつがファンと名乗っていていいのだろうかと思うと、それでまた落ち込みます。
どうしてこう私はひねくれているのかと思いますが。
おぜちゃん
あとは昨日、発表になったおぜちゃんのこち星卒業ですよね。
さっき書いていたことでそもそも気落ちしているところに、重なってきたのでもうダブルパンチでKO寸前です。
またこれは別に記事として書くつもりなんですが、おぜちゃんはこち星にとっての救世主みたいなところがあると思っています。
私は当時ファンではなかったので聞いていませんでしたが、一覧を見ていると、ねるパーソナリティ時代の晩期っておぜちゃんがずっと代理パーソナリティやってるんですよね。しかもパートナーもやっている。
ねるーおぜ
おぜーパートナー×4
ねるーおぜ
ーーー
おぜパーソナリティ開始
みたいな流れで、ずっとおぜちゃん出ずっぱりなんですよ。
パーソナリティになってからもずっと休み無しで、昨年の最初のお休みまで連続して出演し続けていました。
てちが途中からなかなか安定して出ることができなくなったり、ねるも同じく最後の方は休みも入りつつで交代していったので、スタッフさんのほうも大変は大変だったと思うんですよね。代理を決めなきゃいけなかったりで。(もちろん、メンバーにはメンバーなりの事情があるわけですが)
でもおぜちゃんは安定していたので、そういう意味での安心感はすごくあったんじゃないかなと感じます。
おぜちゃんはグループとして大変な時期もずっとこち星を守っていたし、メインパーソナリティーなので一人でまわさなくちゃいけないから、ほかのメンバーのレギュラーとはまた違う大変さがきっとあったはずです。
グループ唯一の単独ラジオ冠番組だし、てちねるの後任、おぜちゃんに変わったタイミングで30分番組に昇格ということでプレッシャーも大きかったと思います。
それでも、最初は苦手と言っていたフリートークも、今ではすっかり板についていますし、メンバーとのトークもすごく上手になっていて、そこにおぜちゃんらしいゆるい感じも加わった個性のある番組になっていたので、毎週楽しみにしていました。
そういう風にずっと頑張ってきたおぜちゃんを私は心から尊敬しています。
だからこそ、もっと聞いていたかったです。
ファンになるのが遅かった私にとっては、こち星=おぜちゃんだから、それが当たり前になっているところもあって。
代理パーソナリティをたてていたときも、それぞれのメンバーの個性があって面白く聞いていましたが、復帰するまでにやっぱりおぜちゃんのトークの「風味」が恋しくなっていました。
まだあと3回あるけれど、その寂しさを想像すると落ち込んでしまいますね……。
なんですか、今日のブログは(自分で書いたんだろ)
闇が漂っている……。
まあたまには、こんな日もあるということで。
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