4期生ドキュメンタリーを見れなくても楽しめるから大丈夫(ドキュメンタリーの暴力性・搾取性)

4期生ドキュメンタリーを見れなくても楽しめるから大丈夫(ドキュメンタリーの暴力性・搾取性) ブログ

4期生のドキュメンタリーが配信されていますが、私はどうもああいうのが苦手です。苦手というか嫌いというか。

たくさんいるわけじゃないでしょうが、私はダメなので、もしかしたら同じ気持ちの人がいるかもしれない。そういう人に「こういうやつもいる」ということを言いたくて、これを書きます。

まず、ドキュメンタリーを見なくても、その後の彼女たちを見る分にはほとんど支障はありません。なぜか。私は同じく3期生のドキュメンタリーも見ていないのですが、そんなのほとんど関係なく、3期生の活動を楽しんで見ることができているからです。

確かにドキュメンタリーを見ていないと分からない(見ていた方が楽しめる)ことはポツポツありますが、大した問題にはなりません。谷口さんの個人PVで出てくる「ゆで卵は料理に入りますか?」がドキュメンタリー由来だというのをふいに数日前に知ったぐらいです(笑)

なので、まったく問題ありません。

大丈夫です。


さて、ではなぜドキュメンタリーが苦手なのか、あるいは嫌いなのかについて少し。

まず過程を「苦悩譚」として見せることに私はそれほど意味を感じません。振り返ることはあっても、現在進行系でそれを見せる必要はない。

一方で、私は何事も過程は大切だと思っています。結果より過程が大切であるというのが持論です。

でも、その過程は「自分で考え、自分で迷う」ものであるべきです。

人からその過程を押し付けられるものではないはずです。

結果を受けて何を考えるか、どう感じるか、自分の進むべき方向性は何か。悩む権利、決める権利は個々人にある。

最初からドキュメンタリーにする為のドキュメンタリー撮影はこれが損なわれています。何を悩むのかを実質的に制作側が指定しまうからです。

そもそもドキュメンタリーとは、制作者の自己表現であり、主観的な作品です。ドキュメンタリーを中立的な事実描写をするノンフィクションであると考える人は少なくないでしょうが、それは違います。

ドキュメンタリーは主観的な作品であり、その点においてフィクションである映画と大差ありません。

何を記録し、何を記録しないか。何を出し、何を出さないか。素材をどうつなぐのか。

それらにより、見た人に何を感じてもらうことを意図するか。

作り方は全く映画と同じです。台本が無いだけです。

加えて、今櫻坂でやっているようなドキュメンタリーはそもそもドキュメンタリーを撮るために環境がセッティングしてあり、もはや半分台本があるようなものです。

こういう反応を引き出すために、Aをやろうというような意味での半台本。

ハードルを設け、それによる苦難を撮る。お芝居ならまだしも、それは芝居ではない。シチュエーションを押しつける。

私には非常に「暴力的」に見えます。

そして、彼女たちの半ば大人によって作り出された葛藤や苦悩を、見ているファンの「推し願望」「応援」のエネルギーにするという意味での感情の「搾取性」。

本来悩みは自分の為だけにあるべきものです。

こういう暴力性を帯びたコンテンツが必要なのか。

私は搾取に加担したくないのです。

社会的に見ても、オーディション番組などが話題になりますが、こういったものがもてはやされるのが健全か。私には疑問です。(言わずもがな、私はオーディション番組のたぐいはまったく見れません)

合宿や研修は今までもしてきているはずですが、コンテンツ用にカメラが入れば、その被写体であるメンバーや指導者は、少なからず影響を受けるはずです。そこに一種の歪みが生じる。

カメラに存在する「暴力性」(ないし加害性)は使い古された議論だと思いますが、そこにどれだけ鋭敏であるのかは運営として、もう少し意識すべきではないかと思います。

作品自体は見ていないから、具体的なことは書けませんが、ここではその「構造」を問うているので、具体的なことはあまり意味がありません。

長く活動しているメンバーならともかく、入ったばかりの子たちにとって、そこに存在する大人たちは圧倒的権力者です。

その権力構造の中で、カメラで撮られる。特に泣いているところ、苦悩しているところがどうしてもフィーチャーされて。

そして、それが一種の商品として配信される。それが消費されていく。

これは私の人生の美学に反します。

とはいえ、ドキュメンタリー自体をすべて否定するつもりはありません。彼女たちの個性や魅力が分かるような映像であれば、それはそれで良いと思ってはいます。あるいは振り返る、答え合わせをするということはあり得ると思います。

料理のシーンやマシュマロ?のシーンはきっと面白いのでしょう。

でも、そのために大人によって設定される苦悩が商品化されてしまうことは、やはり「良い」とは思えません。同じ苦悩でも「ぶつかってしまったこと」への苦悩と「ぶつからされる」ことへの苦悩では質が違うでしょう。


と、まあ、こんなところです。

自分でも面倒なやつだと思うけれど、やっぱり美学は大事にしたいです。

周囲が賛美する中で「それは違うのではないか」「それには乗れない」と書くことは、こんな弱小ブログでも、やっぱり勇気がいることです。

それでも書いておきたかった。

4期生に関してはドキュメンタリーを見ない分、情報が周囲に比べて不足しているので、早めにそこさくで紹介してもらえると助かります(笑)