先日の「欅って、書けない?」はバレンタインデー企画の後半で、面白かったですが、むーちゃんの言葉にはハッとするものを感じました。
むーちゃんがそこまで考えていたわけではないと思うんですが、突き詰めると「笑いといじめ」って表裏一体だよということです。今回はそれについて考えてみました。
バレンタインデー企画でむーちゃんが言ったこと
今回のバレンタインデー企画は、2期生が1期生にチョコをあげるというもので、そのチョコはロッカーに入っており1期生がそのロッカーを開けてわちゃわちゃするという流れでした。
2期生は義理3つと本命1つをアンケートに書いたようです。収録時期の関係からか、卒業メンバーに書いた子もおり、義理27個・本命9個がスタジオにいた1期生全員に配られたわけではありませんでした。
で、むーちゃんの番の時点で義理チョコは残り4つ。残る1期生はむーちゃん入れて3人。偏りがなければ全員1つずつもらえるところですが、前に出てきたむーちゃんは神妙な顔。
MC「泣いてるのか?」
上村「こういう不平等な……、不平等なものが嫌いっていうか」
MC「確かにな」
(「欅って、書けない?」テレビ東京・2020年2月16日放送)
番組では編集で「むーちゃんがチョコをもらえないと危惧しての発言」という流れになっていましたが、たぶん自分がもらえるかどうかというよりは「もらえない」、あるいは「あげなかった」ことを笑いとして消費することの違和感を口に出したんじゃないかと思うんですよね。
むーちゃんが話しているときに、ふーちゃんがうなずいていたのが印象的でした。
結果、むーちゃんは義理チョコ3つ獲得で、残るは1つ。この1つをあかねんとふーちゃんが争う格好になり、まつりちゃんがふーちゃんに義理をあげていたので、あかねんがチョコなしという結末になりました。次回はこれを受けて、2期生とあかねんの距離を縮めよう企画になったので、まあ企画上はうまくいったとは思います。
問題はこの発言をどうとらえるか、です。
日本の笑いは嘲笑によって起こることが多い
お笑いと一口に言っても色々あるんですが、日本のお笑いは「あざ笑う」系が多いです。
笑いというのは「期待や想像と違う結果が出てきて、かつそれが納得いくものだった(or本音ではそう思っていた)ときに、新たな価値観を自分の中でつくるための反応」ではないかと私は思っていますが、日本ではこれを成立させるために一種のタブー破りが多用されているように思います。
要は「みんな思っているけれど、普通は言っちゃいけないよね」ということをあえて言うことで、それを言った人を「こいつ馬鹿だなあ」とあざ笑うわけです。いわゆるツッコミはこれをはっきりさせるために行うことが多いです。
あざ笑うと書くと、すごい糾弾しているように受け取られるかもしれませんが、自分も笑ってしまったりするので、この辺は自分で自分に言っているようなところもあります。
この辺の塩梅を間違えて社会的に許容されない事柄をいじると「笑えない」となって、炎上したりします。なので、お笑いをやっている人はこの辺のバランスを常に探る必要があるんだろうなと思います。
バレンタイン企画の笑いの構造
で、今回の企画の場合、「チョコをみんなもらえるだろう」・「チョコを偏りが出ないようにあげただろう」という期待や想像を裏切ることで笑いを起こすというのが基本的な流れでした。
もちろん、メンバー同士のトークを使う時間もあるので、これだけではないですけどね。
天ちゃんのぺーちゃんへの「パンをあげたくて」発言や、ゆっかーへ1人だけあげていなかったところなんかは、タブー破りですよね。ぺーちゃんのくだりなんかは、先輩へのやや非常識なコメントだけれども、みんな共感できるレベルだから笑いになるわけです。これが本当に失礼になると笑いではなくなってしまいます。
さて、こういうのは外から見ている分には面白い企画ですが、当事者たちは結構複雑な思いを持つ部分もあると思います。「もらえなかった」・「あげれなかった」ことは、もやもやにつながる可能性もあります。あかねんとかあのまま引っ張ったら泣きそうでしたもんね。
この辺の危うさをむーちゃんは言いたかったんだと思います。
当事者が抱える可能性のあるもやもやを「笑う」のってどうなんだろう?
ということを。
そんなことを言うなよって「いじめ」と同じじゃない?
この発言に対して、「バラエティなんだからさ~」「テレビなんだよ」みたいなことを言う人もいると思いますが、私はこれは基本的に「いじめ」と同じだと思います。
笑いの多くが「あざ笑い」の側面がある以上、笑われる側が喜んでいない限りはそれを強要するのはいじめになるんじゃないの?と思います。
仕事だったらいじめられても仕方ない、なんてことはないでしょう。
笑いが肯定されるのは、両方がそれを望んでいるときに限られます。
自分が触れられたくないことをいじられて、嫌だと言っても「なんだよ、ノリ悪いな」みたいになって、まるで嫌がっていることが罪であるかのように言われてしまうのは「いじめ」と基本的に同じです。むしろ嫌だと言えたらいいほうで、たいていは「ノれないお前が悪い」という空気を察して、自分に嘘をついて受け入れてしまうことも多いでしょう。
「笑い」には暴力的な側面があります。
「笑えるからいいじゃん」で正当化してはいけない“とき”もあるんだということを、今回のむーちゃんの発言で改めて思いました。
チョコをもらったあとのむーちゃんが笑っていたのを批判する人もいますが、あそこで喜ばないのも2期生にかわいそうですし、もらってうれしいのは事実でしょうから、別に私は何とも思いませんでした。自分に嘘をつかないというのは大事なことです。
むーちゃんはすごく優しくて、繊細なところがあると思うんですけど、それがよく出ていたなと思います。
とりあえず、Be yourself.
※もちろん、お互いがOKの範囲でやりあう分には構わないと思いますし、企画自体がダメだったと思っているわけではありませんが、演者も視聴者も幸せになれるような企画だともっと良いだろうなとは思います~。
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