私は最低なファンである

私は最低なファンである コラム

それを聞いたとき。私は最低だなと思った。

もしかしたら、もう二度と欅坂の曲を聞けないかもしれないと思った。

まあ、これは大げさな話で、実際は落ち着いたら聞けるようになると思うけど、今は聞けない。

メンバーは本音がどうかはともかく、前を向いている。

でも私は向ける気がしない。

「良いファン」はみんな前を向いているし、きっと受け入れていくんだろう。それは素晴らしいことだ。

ひるがえって、私はファン失格だ。


そもそも私は、元来こだわりがすごく強い。関心が高くないことについてはかなり寛容なほうだと思うけれども、関心が高いことへのこだわりは人一倍強いと思う。

だから、人生、少なくとも大学を卒業してからはずっと苦しい。今も苦しい。きっとこれからも苦しい。自分で損な道を選んでいるとも思う。

だから、欅坂に惹かれたんだと思う。自分なんかではおこがましいけど、似ていると思ったから。彼女たちからは「こだわり」を感じたから。そして、その「こだわり」ゆえの苦しさも。

平手友梨奈は自分の持つ稀有な才能と楽曲、周囲からの期待にずっと苦しんでいたんじゃないかと思う。

でも、そんな平手が一生懸命、ときにコンディションが悪いと言われ、休んだりしながらもセンターに立ち続けたところに惹きつけられた。

そして、平手友梨奈の陰に隠れてしまっているかのように言われてきたほかのメンバー。

彼女たちもきっとずっと苦しんできた。

平手の存在感、グループの必ずしも明るくないイメージ。バラエティーの苦手さ。

それでも、自分たちの色を信じて、走ってきた。

キャプテンはいつも矢面にたって、グループのために発信をして。それでも暗いところを私たちには見せないで、頑張ってきた。

そういう苦しみに立ち向かう強さ。

それにずっと憧れていたし、私は欅坂のそこが好きだった。

その苦しさから逃げずに立ち向かう姿勢が私を欅坂にかきたてていた。


だから、今は前を向けない。

名前を変える。

ただ名前を変えるだけじゃないかという声もあるかもしれないが、「名は体を表す」というように、名前には力がある。

欅坂という名前には、今までの5年間の汗、涙、こだわり、苦しみ、楽しさ、嬉しさが詰まっている。

平手や鈴本が抜けて、今後どうなるのか。コロナがきてどうなってしまうのか。

欅坂には試練がこれでもかと槍のように降り注いできた。

さらに、次のシングルを出せば、絶対に平手と比べられる。

それでも私は平手が少なくとも2020年1月23日まで頑張ってこれたのは、今の欅坂のメンバーだったからだと思っている。

だから、どんな曲がきても、平手とは違う魅力を出せばいいと思っていた。欅坂の土台のうえに新しいものを積み重ねていけばいいと。その立ち向かう強さはきっと伝わると。例えば、「ヒールの高さ」のような大人向けの曲でも、ブラッシュアップしていけば、すごい魅力になると。

そういう覚悟と期待を私は持っていた。

そして、欅坂ならこの試練は絶対に乗り越えられると信じていた。

でも、欅坂が選んだのは私が考えていた道とは違った。

名前を変えるというのは、過去をある意味で捨てるということだ。

もちろん彼女たちの中に欅坂として刻み付けられた経験はあるし、それが変わることはない。

でも、見る側に「私たちは欅坂ではない、新しいグループ」というイメージを持ってほしいことは明らかだ。

少なくとも、運営は「欅坂=平手というイメージを超えられない」、「過去は足かせ」、「名前の重さが邪魔」だと考えていたんだろう。

今のメンバーがそう思われてしまったことがたまらなく悔しい。もうどうしようもなく悔しい。

だって、昨日のライブ。最高だったじゃないか。これなら欅坂の新しいページをめくれるって思わせてくれたじゃないか。

天ちゃんのあの表情。あれは欅坂だよ。欅坂の魂がこもったような表情だった。確かに欅坂はつながってい

なのに、どうして。

どうして、そっちなのか。

確かに名前を変えて新しいグループになるのもそれはそれで大変だと思う。キャプテンが言っていたように「いばらの道」だとも思う。

でも、私は欅坂には欅坂の過去を背負い続けてほしかった。そこから逃げないでほしかった。今までの欅坂を蹴散らすような曲を、「欅坂で」パフォーマンスしてほしかった。欅坂で欅坂を超えてほしかった。大人が増えた今の欅坂だからこそできる、新しい「欅坂」をつくってほしかった。

メンバーの数人は泣いていた。キャプテンはいろんな感情がないまぜになったような声で私たちに改名することを告げた。その声には悲しさ、申し訳なさ、悔しさとかそういう思いがごちゃ混ぜになっていたように思う。

だから、メンバーが逃げたわけじゃないと思う。メンバーは必死に食らいついていたはずだ。それは昨日のライブを見たら分かる。あのガラスを割れ!の気迫。どういう思いで踊っていたのだろうと思う。

逃げたのは大人だ。

欅坂という高い壁を前に尻尾を巻いて逃げた。

私が好きだった欅坂を足かせだと置いて行ってしまった。

平手友梨奈が必死に作って、守った(と私は思う)「欅坂」を。

1期生がいろんな声を浴びながらそれでも愚直につくってきた「欅坂」を。

2期生が好きだと言って、入りたいと思ってくれた「欅坂」を。

私はそれが悔しくて、腹立たしくて、たまらない。

そして、欅坂を守ってあげられなかった1人のファンとしての自分が嫌で嫌で仕方がない。


ファンはいつだって、その対象を応援するのがきっと正しい。

もちろんそんな気分になれない日も人間だからあるけれど、愛情を持っていれば、そうひどいことにはならない。

悲しいことも別の側面から見れば良い部分もある。いろんなことに感謝していけば人生は幸せだ。そして、本当につらいのはメンバーだ。

……

だから、私はファン失格です。最低なファンです。

少なくとも今は、彼女たちをプラスに見れない。応援できない。見方を変えたくない。こだわっていたい。欅坂にこだわっていたい。私は単にメンバーの集まりということではなく、いろんな困難があって、でもだからこそ生まれたような輝きがある「欅坂」が大好きだから。

メンバーが悪いんじゃない。私が悪いんです。

第一、メンバーの困難さを望むなんて、最悪な所業です。客観的に見て、最低だと思う。

今はどうしたらいいかよく分かりません。

曲を楽しく聞ける日がまた来るのかな。

けやかけとかを楽しく見れる日がまた来るのかな。

メンバーのブログやメッセージを喜んで読める日がまた来るのかな。

何もかも分かりません。

こんなに目に涙を浮かべながらブログを書く日が来るとは思いませんでした。

きっとひどい内容。でも、今しか書けない。落ち着いたら書けない文章だから、書きました。半分自分用の記録かな。

このブログもどうしたらいいか分かんないんですけど、とりあえずはここで。

こんな自己中な文章、ここまで読んでくれた方がいたら、どうもありがとうございました。そんなあなたはきっととても優しい方です。


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