先日、解禁された「最終の地下鉄に乗って」。
ゆっかーが「欅坂っぽい」と言っていて、確かにそうだなあと思いました。まあ、人によって「欅らしさ」というのは違うと思うのですが、ゆっかーも入る前には「自分は何のために生まれてきたんだろう」と思うことがあったと言っているので、「生きる価値」とかそういうものについて歌っているのが欅っぽいと感じるのかなと思います。
私もそれはそうで、特に好きというか自分を欅坂に深く踏み入れさせてくれた曲は
「月曜日の朝、スカートを切られた」
「夜明けの孤独」
「黒い羊」
だったりします。
生きる希望が見えない、自分は多数派になじめない、疎外されている。
そういう曲を彼女たちが歌ってきたから、私は欅坂を好きで追っていたところがあります。もちろん、それだけじゃなくて、楽曲を全力で披露してきたこと、頑張ってきたこと、それぞれのメンバーの魅力にも惹かれるので、どういう楽曲でも応援はしていくつもりですが、やはりそういう楽曲に強く惹かれるのは確かなのです。
「最終の地下鉄に乗って」では、
「それでも生きなきゃいけないって結構辛いことじゃないかな 僕にはそれが耐えられない」
「だけどすぐに死んだりはしない」
とかの歌詞に強く惹かれます。
月スカなら、
「死んでしまいたいほど 愚かにもなれず 生き永らえたいほど 楽しみでもない」
が好きですし、
夜明けの孤独は、
「誰かの優しさが何だか重荷に思えてきた わざと無視して嫌われたかった そんなに器用に生きられない」
で泣きそうになるし、
黒い羊だと、
「それならやっぱ納得なんかしないまま その度に何度も唾を吐いて噛みついちゃいけませんか?」
「まわりと違うそのことで誰かに迷惑かけたか?」
が好きだったりします。
私自身は、いつもうっすら「希死念慮」と呼ばれるような思いがあります。「希死念慮」自体は定義が色々あるみたいですが、「なんとなく消えてしまいたい」とかそういう感覚ですね。
「死にたい」までいっているわけではないし、そういう願望もないんですが、「明日が来なければいいのに」とかはよく思います。この微妙な感じ。自殺願望ほど切迫していないけれど、希望もない。この微妙なところを欅坂は歌にしてきてくれてるんですよね。ここが刺さるのです。
学校に通っていたときは、「寝たら朝が来てしまう」と寝ることに一種の恐怖を覚えていたようなこともありました。これは成長するにしたがって無くなっていきましたが。
私の人生では、総じて未来への希望がないんですよ。悪いことばっかりじゃないかという。
自己肯定感が高くないこともあって、他人の目を気にしてしまうので何をやるにも怖いし、常に最悪なことを考えるのでもう未来は恐怖ばかりなのです。実際はそんな嫌なこととか、怖いことばっかりではないんですけどね。
でもそういう感覚って、なかなか人に話せないじゃないですか。家族や友達にはやっぱり話せないんですよ。私の場合。こういうブログとかTwitterとか、不特定な人たちに向けて話す分には私という人間をある意味で操作できるし、ブログやTwitterをやめてしまえば一瞬で存在をなかったことにできるという安心感があるから、書けるんですよね。(実際は記録とかいろいろ残ってしまいますけど)
だから、欅坂や櫻坂でこういう曲を歌ってもらうと、自分のほかにもそういう感覚の人がいるんだとか、それを代弁してくれているんだと感じて、すごく共鳴するのです。
こういう暗い曲はあんまり好きじゃないなという方もいるとは思いますが、少なくとも私は欅坂のこういうカテゴリーの楽曲に救われてきたし、だからこそ、これだけ欅坂を好きになったんです。
んー。なんというか、まとめると「最終の地下鉄に乗って」が好きだなあという話なんですけどね(笑)
櫻坂でも、私のような人を見捨てないでいてくれて、ありがとうという気持ちでいっぱいです。
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