昨日、サイレントマジョリティーが教科書に載ったというので話題になっていましたね。
サイマジョに関しては、欅坂が掲げていくことになった「自分らしく生きるんだ」というテーマを鮮烈に打ち出した、エポックメイキングな作品でした。これぞデビュー曲という感じです。
聞くとやっぱりすごい曲だなあと思うのですが、最近聞くと「欅坂から櫻坂へのエール」のようにも聞こえるなと思います。
今回はそんな話し。
歌詞を解釈し直す
欅から櫻へのエールという観点で解釈し直してみると、新しい発見があるなと思います。
1番Aメロ
欅坂が作り上げてきた世界観はたくさんのひとを巻き込み、たくさんの人を魅了したことで、当時彼女たちが想像もしなかったであろう巨大な「社会」=「交差点」になりました。
その社会の中で似たような服、似たような表情でパフォーマンス「しなくてはいけない」。これは見方によっては息苦しく思えるでしょう。
その中を押し流されながら歩く中で、違うことをやったっていいじゃないかと思うわけです。
1番Bメロ
しかしそうすると、「列を乱すな」と説いてくる人が出てくるわけです。
1番サビ
「君は君らしく」、これは普通欅坂が私たちに向けた言葉と解釈するでしょうが、今だからこその観点で聞けば、櫻坂に向けた言葉に変えて考えることもできます。
あえて茨の道を進めば、「時には孤独になることもある」。でもこの世界は群れてちゃ始まらないのです。
2番Aメロ
声を上げなければ、意志はないと見なされて、「誰かたちの意向」にひたすら流されるだけになります。
2番Bメロ
だからこそ、「選べる」ことが大事なのです。
欅坂っぽい曲をやってもいいし、全然違うのをやってもいい。大事なのはこれしかないと視野狭窄に陥らず、常に自由に選べるんだという気持ちを持つことです。
2番サビ
「やりたいようにやればいい」。
メンバーの数だけ思いはある。だからこそ、こういうのをやってみたい、こういうのが好きというのを出しながら、ある意味で運営に「採用させ」ながら、やっていくべきなんだ。
つまらない外野は置いてゆけ。
「未来は君たちのためにある」
Cメロ
前例踏襲でやれば、誰からも文句は言われないけれど、群れとしか認識されない。
そこに個はいない。
大サビ
櫻坂は櫻坂らしく活動していく自由がある。抑圧する人々に支配されるな。
諦める必要なんてない。
チャレンジすれば、失敗もあるし、文句も言われるし、傷つくこともあるだろう。
それでも、誰も見たことがない景色を見るためには、出来上がってしまった群れから離れて、自分たちで作り上げていかなきゃいけないんだ。
さあ、行動しようじゃないか!
てな感じです。
他の楽曲でもできる
この解釈の仕方は他の曲でもできます。
せかあいでもできるし、セゾンでもできる。不協和音でももちろんできる。
かぜふか、アンビバはメッセージソングって感じではないのでちょっと難しいかもしれませんけど(笑)
改名直前の曲だと、10プは聞いたときから、仮に欅坂が続いていたのだとしても、新しいことにチャレンジしていこう、今までにこだわりすぎるなというメッセージを感じていました。今考えると、その延長線上に櫻坂があるのかなあと思います。
そもそも結果的にラストシングルとなった黒い羊は、私自身1番と言っていいぐらい大切な曲であり、同時に欅坂の集大成のような作品だったので、あれを越えるものをつくるのは難しかっただろうと思います。無理に作って、どこか過去の模倣になってしまうぐらいなら新しい要素にチャレンジしようと考えても不思議はないと思っていました。欅坂というのはそういうクリエイティブなグループだと思っていたので。だから、10プはその宣言に感じたのです。これについては前にブログでも書きました。
自由
櫻坂は自由になったんだと思っています。
欅坂的な曲をやってもいいし、なんなら別に欅坂の曲をやってもいいと思います。同時に全然違うものをやったっていい。
とにかく今は自由でいい。
色んなことにチャレンジしながら、やりたいことを見つけていってほしいです。
そして私自身は「目の死んでしまった、列を乱すなと説いてくる大人にはなりたくない」と思うのです。
未来は君たちのためにあるのだから。
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