「死にたいと思ったことがあるか?」と聞かれれば、私は「ある」と答えます。
ただ、「死にたい」という気持ちには程度の差があります。
私のは「希死念慮」と呼ばれるようなカテゴリーに入るものだと思います。「このまま目が覚めなければいいのに」とか「ここで死ねたら楽だな」とか。「練炭自殺って楽なのかな」とか。そういうものをぼんやりと考えることがあるのです。でも、私のはそんなに強くないので、実際にやろうとしたことはないし、死んだら親が悲しむなとか、良いこともあるしなとか思って、日々生きています。
希死念慮の感覚は、何か特定の嫌なことがあれば感じるし、そういうのがなくても「私って生きてる意味あるのかな?」とかふと思って、「なんでこんなにいつも息苦しさを感じないといけないんだ。いっそ死んだほうが楽じゃないのか」というところから感じる時もあります。
こういうのがもっと強く出るようになると「自殺願望」などになってくるんでしょう。
こんなのは考えたこともない人からすれば、ばかげたことかもしれない。
それでも、私にとってはとっても重大なことなんです。
なんでこんなこと書いてるのかといえば、昨日のけやかけの感想がしんどかったからです。
私自身は昨日の「けやかけ」は見てません。録画はしてるので、なーこちゃんの卒業のところだけ見ようかなって思ってます。たぶん見たら死にたくなるから、見ないほうがいいんです。
なんで希死念慮とか自殺願望が出てくるのかっていうのは、いろいろあるんでしょうが、私個人のことを言えば「自己肯定感の全体的な低さ」にあるんだと思います。
もちろん自己肯定感って物事によって変わるので「これなら自信がある」というものはありますが、平均して低いんですよ。基本的にコミュニケーション能力低いし、自分のこと「ダメ人間」だと思ってるんで。
なので怒られたりすると、余計「ダメ」が強化されるんですよ。ただでさえ、ダメ人間だと思ってるのに、他者から言われると余計にそれが強くなる。しかも他人から言われた言葉は重い。
だから、いつもびくつきながら生きています。「ダメ」と言われないように。こうやって生きるのはつらいですよ。そうやって気を付けていても言われてしまったときに、一気に「生きる気力」を失います。
「苦しい」「他人からしたら存在が迷惑だ」
と、思うわけです。
そして、そういう「ダメ」という発言が支持されればされるほど、その重みは加速度的に強くなっていくのです。
自分からしたら何でもないような発言が、時に誰かを追い込んでいる。
お前のことなんて見ていない。お前の気持ちなんかどうでもいい。俺たちを喜ばせろ。俺たちに媚を売れ。
それが「ファン」だと言うのなら、私はいったい何なんでしょうね。
てちのSOLでの卒業式の言葉。ちゃんと理解できた人はどれくらいいるんだろうか。
「お前らはだめなんだ」「こういうことを言うのはお前らを思ってのことなんだ」という情報を発信することで、今日もまた、「好き」を通じて間接的に誰かが追い込まれている。「好き」が汚されていく……。
誰も気持ちなんて分かってくれないーー。彼らには分かるつもりもないーー。
欅坂は私に寄り添ってくれるような楽曲がいくつもあって。
だから、好き。
だから、メンバーには欅坂で活動出来て良かったと思ってほしい。笑っていてほしい。
そんな私の想いは、喧騒の中にかき消されていくのでしょう。
この喧騒が誰かの死に近づかないことを祈っています。
そして、(経緯は関係なく)誰かを否定するような言動は、名も知れない誰かを追い込んでいるかもしれないことを少しでも気に留めておいてもらえたらと思います。
あなたは一人じゃないからね。
あなたの感覚は大げさでもなく、とっても大事なものだよ。
私も同じようなものだから。
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