Nobody’s faultの歌詞は欅坂の進化版である!

Nobody's faultは欅坂の歌詞の進化版である! 櫻坂46楽曲紹介

昨日のレコメン!で「Nobody’s fault」がフル解禁されました。

私はラストライブで聞いた時から「かっこいいじゃん」と思っていたんですけど(笑)、じわじわ好きな人が増えてきて嬉しい限りです。

音楽的な部分はあまり詳しくないのと、私自身が歌詞から入るタイプでもあるので、そこからこの曲の面白さに迫ってみたいと思います。

今回は「欅坂とのつながり」です。

昨日のゆうパラでもあかねんが「欅坂でやってきた、訴えかける曲をこれからもできるんだと嬉しかった」と言ってましたが、欅坂らしさも随所にある歌詞です。一方で、欅坂で語っていたことは逆に聞こえるようなものもあるのが面白いところ。

その辺を紐解いてみたいです。

世界観

私の印象としては、息苦しい部屋の中にいる主人公に誰かが(それは他人かもしれないし、もう一人の自分かもしれない)、「お前そんなんでいいのかよ!」と鼓舞しているような世界観です。

「部屋」や「窓」というワードが出てくるので、暗いじめっとした部屋の中にいるイメージですね。

I’m outと少し近い感じがします。暗いところに閉じ込められている、息苦しい感じが似ています。天の声が聞こえてくるというのもシチュエーションとしては似ていますね。まあ言っている内容は全然違いますが。

I’m outの主人公は外に出ようとしているのに対して、Nobody’s faultの主人公はそれを諦めてしまっている感じがします。欅坂がずっと歌ってきた「自分らしく生きろ!生きていいんだ」というメッセージが同じことを考えている人を勇気づける方向性だとすると、この曲はその一歩先を行っています。諦めてしまった人に対して、言っている。大人向けの曲な気がします。

また、「君をもう探さない」と同じようなアプローチでもあるかなと思います。

「鏡に映っているお前は誰だ?」(Nobody’s fault)と「知らないうちに大人になってた。鏡の自分絶望して、君は逃げ出したんだろう?」(君をもう探さない)は相似形のように思えませんか?

世界を変えようなんて自惚れてんじゃねえよ

曲の出だしからパンチがきいてますが、これと今までの欅坂は矛盾するかと言ったら私はそうでもないと思います。

欅坂の楽曲では「自分らしく」とかはよく出てきますが「世界を変えろ」なんていうワードは出てきません。

不協和音では「支配したいなら僕を倒してから行けよ」「欺きたいなら僕を抹殺してから行け」と歌い、黒い羊では「僕だけがいなくなればいいんだ」と歌ってきました。

自分は社会や世間の不条理や同調圧力には負けない、それはおかしいと言い続けるというのが欅坂で歌われてきた基本的な方向性。その結果、そういうものに惹かれる人が増えれば世界は変わるのかもしれませんが、あくまで「自分らしく生きること」が主眼であり、世界を変えるのが目的ではありません。

だから、これは今までの欅坂の主人公に対して言っている言葉ではないと思います。これは「世界なんて変わらないよ」と言い訳をして、動こうとしない人(大人)へのメッセージだと思います。

お前の力で世界なんて変わらねえに決まってんだろ。自惚れてんじゃねーぞ。それを言い訳にしてんじゃねえ!信念もなく、自分に嘘ついて生きてっから外の世界に右往左往して絶望するんだよ。自分らしく生きるという信念を持て!

ってことなんじゃないでしょうか。

君のせいじゃない

一方で、欅坂で歌われてきたものに対する新しい考え方も示されています。

「自分のせいにもするな」

Cメロの部分ですが、これは黒い羊での「全部僕のせいだ」に対する言葉のように思えます。

黒い羊では「世界のあれこれは全部僕のせいだ。僕が背負う」というような感じの歌詞でしたが、今回は「そんなわけないだろ。世界のあれこれはお前のせいじゃない。気にするな」という感じです。

世界では今も紛争があったりしますし、国内にだって問題はたくさんあるし、苦しんでいる人はとてつもない数います。でもそれは、あなたのせいではありません。あなたがその責任を負う必要はない。あなたは「森」の一本の木でしかない。ある意味でちっぽけな存在だ。そんな気を張らなくていい。大丈夫。

これは「苦しみを背負ってきた」欅坂に対しての、「これからは自由に伸び伸びやればいいよ」というメッセージでもあるのかなという気がします。

諦めるな!生きろ!

また、難しくてつらい状態になっても「生きろ」というメッセージもありそうです。

「きれいごとを言うな。それでも生きる強さを信じろ」

これは「君をもう探さない」の「純情守ることがそんなに大事なことか」「知りたくないズルさを許せ」などを彷彿とさせます。

いつもきれいごとを言っているわけにはいかないかもしれない。でも、人間にはそれでも生きれる強さがある。それを信じろ!

「きれいごとを言えないなら、最初から自分を殺せばいい」という風に諦めるな!

的な思いを私は感じました。

そういうごちゃごちゃしていて、きれいでないのが人間の真理なのだと。

Cメロは欅坂要素の詰め合わせ

Cメロは欅坂要素を特に強く感じます。

まず、二人セゾン的な要素。

「光と影は何度も重なりあい 大きな森になるのさ」は「一瞬の光が重なって折々の色が四季をつくる」と同じような感じです。

また、森はやはり「もう森へ帰ろうか?」をイメージさせます。「もう森」は「森の影の多さに嫌気がさして街に出た主人公が、実際には良いことなんか一つもなかった、本当のユートピアはあの森だったんだと思う」と言う歌ですが、光も影もある場所だからこそ、そこには心があって、「人間らしさ」があるんだというメッセージは共通したものを感じます。

「風が吹けば分かるだろう」は「風に吹かれても」から来てるのかも(あんまり関係ないかもしれないですがw)。

と、こんな感じで欅坂の要素もたくさん読み取れます。

椅子取りゲーム

最後の「一つが残る椅子取りゲーム それならいっそ孤独を選びな!」ですが、「椅子取りゲーム」はゲームなので、誰かがルールを決めて競わせているわけですよね。

しかも椅子取りゲームは人を蹴落として、最後に一人だけが残るゲームです。私は小学生の時、めちゃくちゃ嫌いだったんですけど(笑)全部人のせいにしていたって、最後に残ったら「自分が誰かを蹴落とした」ことになります。

この歌詞は「そんな誰かが決めたルールのゲームなんて参加しなきゃいい。そんなものに参加して、誰かを蹴落とすぐらいなら孤独を選べ」と言っているように思えます。

自分の信念を持って生きていくなら、そんな誰かのつくった人を蹴落とすルールなんて無視すればいい。

信念を持って生きろ!というこの曲のメッセージが良く出ているところかなと思います。

視点を変えて欅坂の一歩先へ

総じて言えば、「自分の信念を持って生きろ!」ということで欅坂から引き続いてのテーマを扱っていると思います。

一方で、欅坂時代は主人公がその気持ちを持ちながら苦しんだり、自分や他人を鼓舞することで、同じ境遇の人たちに寄り添うというアプローチだったのが、今回の曲はその先に行っている人たちを「それでいいのかよ!」と挑発するようなアプローチになっています。

1期生がもうそういう年齢じゃなくなってきて、いわゆる大人になってきていることが影響しているのかなという感じも受けます。

1期生たちに向けたメッセージでもあるのかもしれませんね。まあ、息苦しくさせたのは運営だろうとか思ったりもしますが(笑)

視点を変えることで欅坂の一歩先へ歩みだした感じがする楽曲だなと思います!

おわりに

欅坂で歌ってきたテーマを進化させて、ファンも含めた大人たちに向けて「自分の信念を持って生きろ!」と訴えているのがNobody’s faultかなと思います。

中高生にダイレクトに響くような歌だったのが、今後は大人向けにもなっていくのかもしれません。

パフォーマンスで見たるんちゃんの表情が頭から離れないので、テレビ披露が楽しみです。あれは撃ち抜かれるぞ~!


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