昨日、2ndシングルのカップリングである「偶然の答え」のMVが公開されました。
おそらくは手つな以来のドラマ仕立てで、短編映画のような味わいのある、とても素晴らしいMVでした。
今回はこのMVの感想です。
愛情という名の怪物
このMVを見て、痛烈に思ったのは「愛情は怪物である」ということです。
愛情というと、例えば家族や恋人を想像する方も多いかもしれませんが、実際は色々なものに対して、私たちは愛情を持ちます。
で、「愛情とは何か?」を調べると色々な答えが出てきますが、「与えるもの」とかそういうのは宗教的だったり、自己啓発的ニュアンスが強いのでここでは扱いません。
私は「依存したい」「第三者を排除したい」「助けてあげたい」といった感情が合成されたものが愛情だと思っています。
だから、親子、友達、恋愛、ペットなどあらゆるものに愛情は生じると思うのです。
愛情を持つことで利他心を持つことが出来るし、心が満たされたりするので、愛情は大切です。同時に愛情は適切に扱わなければ、自分も相手も壊してしまうほどのパワーを持っています。だから、「怪物」だと思います。
自分と相手で上手くはまらないと、結果的に誰かを傷つけたり、自分が苦しんだりしてしまうわけです。
このMVではそういう「愛情」によって生じる苦しみを描いていると私は思いました。
夏鈴ちゃんが「りこ」に抱いていた愛情と、「りこ」が夏鈴ちゃんに抱いていた愛情は上手く合わなかったわけです。その熱量も質も。でも、自分なりの愛情はずっとあり、それを簡単に捨てたり、忘れたりはできないわけで、お互いがこの苦しみを一生背負っていくんだろうとも感じました。
こういう苦しみは誰しもが経験し得るものです。
自分の愛情が受け入れてもらえない、あるいは相手からの愛情を受け入れられない。それにより生じる苦しみ。
そういう苦しみを真正面から描いたMVで、重いけれども、普遍的なものを描いた作品だなと感じました。
同性愛なのか否か
コメント欄とか、Twitterを見ていると「同性愛に触れているのがすごい」というようなものを多く見ます。
しかし、私はこれにはとても違和感があります。
まずこれが同性愛なのかはよく分かりません。一般に同性愛というと性的欲求もあるものになりますが、異性愛だと世間で認識されるものでも性的欲求はあまりないという人もいたりしますし、実際のところ定義は非常にあいまいです。
このMVでは、夏鈴ちゃんが抱いていた愛情がどういうものなのかは描かれていないので、それを「同性愛」だと断定していいのかすら分かりません。
そもそも、誰かがその愛情をラベリングしたり、カテゴリー化したりすること自体がナンセンスです。その感情はその人のものであり、誰かが代弁できるものでもないからです。
劇中で夏鈴ちゃんが抱いていた愛情は、それそのものでしかなく、誰かが「○○愛」だなどとカテゴライズしていいものではないのではないかと思います。
もう1つ、「同性愛」あるいは「LGBT」(セクシャルマイノリティ)に触れているところがいいという感想もよく分からないなと思いました。
もちろん、実際に自分がセクシャルマイノリティに属しているんだという人が、このMVを見て、自分と重ね合わせる解釈をして勇気をもらったとか、救いになったというのであれば、それはその人にとって素晴らしいことだろうと思います。
しかしながら、そうでない人たちが「同性愛やLGBTに触れることがいいよね」と語ることは、非常に傲慢に思えるのです。
そういうコメントからは、「マイノリティを取り上げてやっている」という意識がどことなく透けて見えるからです。しかも、それはほとんどの場合無意識なはずです。だから、こう言われるとムッとする方もいるでしょう。そんなつもりなんてないって。
でも、自分たちがマジョリティーであり、あたかもマイノリティをジャッジできるかのようにふるまうのは、実はとても暴力的だと私は思います。
「同性愛に賛成」、「そういうのもいいよね」みたいな言説は否定的でないだけマシなんでしょうが、マジョリティー側がそんなことを言う筋合いは本来ないじゃないですか。
だって、そういう気持ちを持つのはその人にとっては自然なことで「当たり前」なことだから。
良いとか悪いとか、価値判断する対象じゃないでしょうと思うわけです。
だから、セクシャルマイノリティに関してもそういうものなんだなとしか私は思わないし、今回は偶然同性間でのすれ違いを描いているにすぎず、本質的には誰しもが経験し得るものが描かれていると思うから、良いMVだなと思うわけです。
制作側がどういう意図だったのかは分かりませんが、同性愛に触れていることがやたらともてはやされてしまうのは、個人的にはどうなのかなと感じています。
※誤解されると嫌ですが、私は例えば政治面などでのセクシャルマイノリティの権利確保は進められるべきだと思っています。マジョリティーだろうが、マイノリティだろうが、その人が自分らしく生きられる社会であってほしいと思っているからです。だからこそ、誰かが自分らしく生きたいと望んだときに、他人から承認されたりしないといけない雰囲気があることにモヤモヤを抱いているのです。
3列目が5人
この夏鈴ちゃんチームは3列目が5人です。ほかのチームが6人なので1人少ないです。これはりこぴが卒業したことによるものです。
そして、3列目の人選ではいわゆる新2期生を選ばず、1期生+先に入った2期生だけでチームを構成しています。
これの意図は何なんだろうな~と思っていたのですが、MVを見て、「ああそうか、これは先に入った2期生を意識している楽曲なんだ」と腑に落ちました。
相手役を演じたのは永瀬莉子さんです。劇中での名前の文字は分かりませんが、お互いに「かりん」「りこ」と呼んでいるので名前をそのまま使っているのかな?と思います。
これもあり最初のほうに夏鈴ちゃんが「りこ」と呼びかけるのですが、ファンならほとんどの人が「りこぴ」のことを考えたはずです。りこぴは夏鈴ちゃん大好きでしたので。
もちろん、これがりこぴに向けた曲かと言えば単純にそうというわけではないと思いますが、制作側がそういう風な解釈を許容するつくりをしていることは間違いありません。
なかなかニクいことをするもんだと思いました。
この次会うのが「必然」になりますように。
櫻坂は感情をぶつけてくる
ここまで櫻坂の楽曲を聞いたり、見たりして思ったのは、櫻坂は「感情をぶつけてくる」グループだということです。
欅坂時代は聞き手側の苦しみを背負って、聞き手側と同化しながら、表現をしていたようなところがあります。
でも、櫻坂になってからは演者として、私たち聞き手に何かを問いかけたり、訴えたり、むき出しの感情をぶつけてきたりするアプローチに変わった気がします。
ノバフォでは「人のせいにするな、自分のせいにもするな。信念を持て!」と訴えてきたかと思えば、なぜ恋やBuddiesでは自分が主人公になる楽しさ、仲間と何かをする喜びをこちらにぶつけてきています。
彼女たちは私たちの代弁者ではなくなったのかもしれませんが、世界の色々な側面を見せるグループになったのだと思います。美しさ、悲しみ、苦しみ、喜び。
まるで小説を読んでいるかのようです。
これからもどんな世界を見せてくれるのか、楽しみにしています!
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