先日の「そこ曲がったら、櫻坂?」で、1stシングル「Nobody’s fault」のフォーメーションが発表されるのと同時に、新しいシステムを採用することが告げられた櫻坂46。
昨日はそれに続いて、センターを3人で回すことが発表され、それぞれのセンターでの3列目も発表されました。(詳細はこの記事の一番下に図示しました)
私は基本的に箱推し・楽曲派なので、あまりポジション競争には関心が高くなく、人選には「良いとも悪いとも思わない」のですが、それでもメンバーが謝ったりしているのは心が痛いです。
私はもともとアイドルファンではなかったので、選抜制度自体にそもそも懐疑的なのですが、それは置いておいて、表題曲に選ばれなかったからといってそれは価値がないことを意味しないんだということを今回は書こうかなと思います。
競争にそもそも意味はない
世の中、「競争に勝つことはいいこと」だと喧伝して、競争させようとする大人たちはいっぱいいますけれども、それに勝てるのはごく一握りです。
例えば、高校野球は最後に勝つのは1校だけ。残りの4000校近くは敗者になります。
そして、多くの人も何らかで妥協したり、「やむを得ず……」みたいな感じで今の状態にあることが多いはずです。何から何まですべて理想通りなんて人は皆無でしょう。
そういう「負け」や「妥協」、「仕方なく」は無駄で無意味なのでしょうか。
私はそうは思いません。
そもそもある時点で起きたことに意味なんて存在しません。起きたという事実があるだけです。それに喜んだり、悲しんだりするのは、そのことが起きたあとに自分で意味付けをしているからです。
だから、競争で勝とうが負けようが、それは比較してAだったかBだったかの違いしかないのです。それを良いと思うのか、そうでないのかは未来の自分や誰かが勝手に言っていることです。
例えば、100m走でビリだったとしましょう。それでお前はダメなやつだ、運動音痴だと言われるかもしれません。でも、昨年より0.1秒速くなっているかもしれない。あるいはタイムは変わっていなくても、走る楽しさを知れたかもしれない。そっちで「良くできた」と考えることもできます。
何が言いたいかというと、起きたものごとには色んな意味をつけることができるのです。それを勝った負けた、順位、ポジション、選ばれたかそうでないか、といった一面的なモノサシで測るのはもったいないです。
モノサシは星の数ほどあります。
自分のモノサシを押し付けようとする人は、こういう回路を「負け犬の遠吠え」とか言うかもしれませんが、それはあなたに罪悪感や劣等感を押し付ける「呪いの言葉」です。罪悪感や劣等感を持つと人はそれを償ったり、克服しようと頑張ってしまう。しかし、その頑張りは「誰かのため」への頑張りであり、成果は搾取されて終わりです。
「あなたのために言っている」とか「呪いの言葉」はたくさんあるので、自分にムチをうって頑張りたくなったら冷静になってみてください。それは自分のためになるのか、実は相手が自分をコントロールしようとしているだけなんじゃないかと。
自分のためのモノサシ
アイドルだろうが何だろうが、何かをしようと思ったら、それが自分のためになると思うからやるわけですよね。健全なかたちとしては。
どう考えても自分のためにならないことをやっていたら、モチベーションは上がらないし、精神的におかしくなってしまいます。
だからこそ、自分にとって都合の良い「モノサシ」を持っていてほしいし、ファンはその「モノサシ」を提案してあげてほしいと思います。
エキセントリックで「僕は普通と思ってる みんなこそ変わり者だ」とあるのは、自分のモノサシと社会のモノサシが違うってことです。
自分に合っていないモノサシで頑張ってもそれは成果が出づらいし、自分のためになりづらいです。
せっかく欅坂に入ってアイドルになれたのだから、自分の納得するまでやってほしいし、長く活動をしてほしいです。その長さが他人が用意した「モノサシ」で縮まってしまうのだとしたら、こんなに悲しいことはありません。
これなら楽しくできるなという自分なりの「モノサシ」をぜひ持ってほしいです。
そういう自分の「モノサシ」をしっかり持っている人は、ほかの人から憧れられますから、結果的にファンが増えることにもつながると思います。
価値は自分で決められる
表題メンバーに選ばれるかどうかは、星の数ほどあるモノサシの1つでしかないし、そこに選ばれなかったら価値がないなんてことはあり得ません。絶対にない。
だいいち、こうやってグループに入って活動していて、推してくれているファンもいるわけです。その時点で価値がないわけがないんです。自分なんかと思うかもしれませんが、応援して、共感してくれるファンがいる。
自分が持っている価値は絶対にあります。
そして、その価値は自分で決めていいんです。自分では決められないと思ったら、誰かに聞いてもいい。ファンがありったけの回答をしてくれるから(笑)
誰かが卒業したほうがいいなんてことはあり得ないし、そんなこと言う人はそもそもファンではないし、そこまでいかなくても、メンバーに勇気を与えられないどころかモチベーション下げるような人は私の中ではただの「やばいやつ」です。
自分なりのアイドル像を持てば大丈夫
人を選ぶ制度では人数制限があるわけで、全員が入れるわけではありません。それはそういうルールになってしまっているから仕方がない。
では、そこに選ばれなかったら、今までのことは無駄なのか。価値がないのか。
そんなわけ、あるわけがない。
極端な話、頑張ったから選ばれるわけでもないんですよ。スポーツの世界だとベテランは成績が良くても構想外になってしまったりすることもあります。会社の人事とかだと、選ぶ人間の好みが理由のことだって実は多いのではないでしょうか。私も以前、小さいことですが応募してきた人から1人を選ぶということがしたことがありますが、技術的な面である程度絞って最終的には「なんとなく」で選びました。明確に理屈を説明しろと言われても「合ってると思った」としか言いようがないんです。
それぐらい、「人を選ぶ」というのは案外いい加減なものなんですよ。
だから、少ない枠に選ばれることにあまりフォーカスしないで、自分はどんなアイドルになりたいのかという自分だけのオンリーワンの「モノサシ」をゲットしてほしいです。それがあれば大丈夫。むしろそれが誰かに勇気を与えることだって、絶対にあります。
もちろんその結果、例えば表題曲のメンバーに入るということもあるでしょう。でもそれは1つの結果に過ぎないわけで、そこがすべてではないと私は思います。結果なんて長い人生から見れば、ほんの一瞬のことです。でも、その間に何をしたのか、何を得られたかは一生ものの財産になるものです。
私はみんなが「欅坂、櫻坂に入れてよかったな」と思えて、これからの人生の幸せの要素の一つになる活動をできるように祈っているし、サポート出来たらいいなと思っています!
<櫻坂1stシングルのシステム>
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